The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

歴史

アド

Pierre Hadot, Les voile d'Isis. (2004) 西洋における「自然」概念の歴史を論じたピエール・アドのこの書物は、頁を捲るたびごとにいつも新しいことを教えられる。 気づいてなかったが、アドは4月末に亡くなっていたよう。ときどき実存主義的すぎてついてい…

アラス

ダニエル・アラス「肉体、優美、崇高」(原著2005) 先頃翻訳された『身体の歴史』第一巻。そこに所収のダニエル・アラスの論考の凄いこと。アルベルティからフロイトまで、絵画から蝋人形まで、解剖学から社交術まで、この第一巻全体の内容を美術史として包…

クライン、モレル

Robert Klein, La forme et l'intelligible. (1970) Philippe Morel, Les grotesques. (1997) フィリップ・モレルも基本的にロベール・クラインの延長線上で、マニエリスム美学の代弁者としてジョルダーノ・ブルーノの想像力論を引きあいに出す。それなりに…

クライン、アラス

Robert Klein, La forme et l'intelligible. (1970) Daniel Arasse, Le détail. (1992) アラスはあいかわらず示唆に富む。「細部」を全体のエコノミーにしたがわせる古典主義芸術理論の「模倣」は、神の似像としての人間という発想に根ざしている、とのこと。

クライン、エリアーデ

Robert Klein, La forme et l'intelligible. (1970) ミルチア・エリアーデ『悪魔と両性具有』(原著1962) ロベール・クラインの書物は久々に読みはじめてみると、やや独断的なところもある気もするものの、けっこう面白い。 「対立の一致」の理解の仕方が気…

 人間と動物と

Gilbert Simondon, Deux leçon sur l'animal et l'homme. Paris : Ellipses, 2004. Lignes, n°28 (HUMANITÉ / ANIMALITÉ), 2009. 『現代思想』2009年7月号(特集「人間/動物の分割線」) 「人間も動物の一種だ」という言葉にはもはやほとんどだれも驚かない…

 ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』(矢橋透訳、みすず書房、2008年)

ミシェル・ド・セルトー(Michel de Certeau, 1925-1986)が、一七世紀にフランスはルーダンの修道院で起こった集団悪魔憑き事件について著した書物(原著1970年)。ジャンヌ・デ・ザンジュをはじめとするルーダンの修道女たちが、ある日から突発的に奇怪な…

顔について

Du visage, sous la direction de Marie-José Baudinet et Christian Schlatter, Lille : Presses Universitaires de Lille, 1982.À visage découvert, sous la direction de Georges Didi-Huberman, Paris : Flammarion, 1992. 顔をめぐるふたつの論文集。…

 ジョルジョ・アガンベン『幼児期と歴史―経験の破壊と歴史の起源』(上村忠男訳、岩波書店、2007年)

ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben, 1942- )が「歴史」について考察した諸論考を集めた書物(原著は1978年、2001年に増補)。日本語訳されたのであらためて読みなおしたが、かつて中心的に読んだ「時間と歴史」の章よりも「おもちゃの国」の章のほう…

 池上俊一『イタリア・ルネサンス再考 花の都とアルベルティ (講談社学術文庫)』(講談社学術文庫、2007年)

レオン・バッティスタ・アルベルティと15世紀フィレンツェの文化・社会とを互いに照応させながら論じた書物。「万能の天才」アルベルティについては、いつか自分なりに取り組んでみたいとかねてより思っているが、なかなか手を出せないでいる。この書物では…

 ピエール・フランカステル『形象の解読〈1〉芸術の社会学的構造 (1981年)』(西野嘉章訳、新泉社、1981年)

ピエール・フランカステル(Pierre Francastel, 1900-1970)による、美術史の方法論や芸術作品の在り方についての諸論考(原著は1965年)。フランカステルは、言うまでもなく「芸術の社会学」の先駆のひとりだが、今日「芸術の社会学」と聞いて思い起こされ…

 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(橋本一径訳、平凡社、2006年)

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(Georges Didi-Huberman, 1953- )が、アウシュヴィッツの四枚の写真を分析しつつ、表象不可能性に対してイメージや想像の重要性を論じた書物。翻訳されたのであらためて読み返したが、イメージについての思想の射程の広が…

 エンゲルハルト・ヴァイグル『近代の小道具たち』(三島憲一訳、青土社、1990年)

エンゲルハルト・ヴァイグル(Engelhard Weigl, 1943- )が、ガリレオからフンボルトにいたる近代の科学器具の使用について、思想的、歴史的、社会的な角度から考察した書物。望遠鏡、顕微鏡、寒暖計、時計、測量器、避雷針など、17世紀から18世紀にかけて発…

 ヴィクトル・ストイキツァ『ピュグマリオン効果―シミュラークルの歴史人類学』(松原知生訳、ありな書房、2006年)

ヴィクトル・ストイキツァ(Victor I. Stoichita, 1949- )が、ピュグマリオンの神話の諸変奏をたどりつつ、現実に取って代わるシミュラークルとしてのイメージについて考察した書物。 プラトンによる〈エイコーン/ファンタスマ〉の区別から筆を起こし、「…

 ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰―コレクションの宇宙 (叢書・ウニベルシタス)』(藤代幸一、津山拓也訳、法政大学出版局、1996年)

ホルスト・ブレーデカンプ(Horst Bredekamp, 1947- )による、「クンストカンマー」の歴史をたどった書物。ブレーデカンプによれば、クンストカンマー、ストゥディオーロ、キャビネなどに蒐集された品々は、「自然物−古代彫刻−人工物−機械」という系列のも…

 坂口ふみ『“個”の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』(岩波書店、1996年)

ヘレニズムからビザンティンにかけてのキリスト教の教義論争を辿ることで、「個」としての「ヒュポスタシス=ペルソナ」という概念が形成されていく過程を辿った書物。東欧のギリシア教父たちによる三位一体論やキリスト論が、アリストテレス的な存在論を論…

 神崎繁『プラトンと反遠近法』(新書館、1999年)

〈本体/あらわれ〉の分割およびそのうちの「あらわれ」の形成と密接に関わる「遠近法」を、その前史たる「背景画(skenographia)」や「光学(optika, perspectiva)」の変遷を辿りながら考察した書物。おもにギリシアからヘレニズムに重点が置かれつつ、興…

 ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜―視覚空間の変容とモダニティ (以文叢書)』(遠藤知巳訳、十月社、1997年/以文社、2005年)

ジョナサン・クレーリーが、近代の視覚/観察者における17〜18世紀と19世紀との切断面について、科学史と美術史と哲学史を統合的に扱いながら論じた書物。個人的には、フーコー的な「切断」によって歴史を捉えようとは思わないし、まして歴史を「構築」と見…

 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ―アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏、水野千依訳、人文書院、2005年)

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(1953- )が、アビ・ヴァールブルクの美術史の方法論を、「残存」に集約される特異な時間性の観点から、同時代や先行/後続の美術史、哲学、人類学、精神分析学と照応/対比しつつ論じた書物。ディディ=ユベルマン自身の…

 キャシー・カルース『トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事』(下河辺美知子訳、みすず書房、2004年)

キャシー・カルースが「トラウマ」概念をめぐって、フロイト、ラカン、ド=マン、レネ+デュラスらの作品を考察した書物。カルースは、フロイトの「快原理の彼岸」や『人間モーセと一神教』をもとにして、トラウマを「ある危機的な出来事を、それと知らぬ間…

 ジャン・スタロバンスキー『自由の創出―十八世紀の芸術と思想』(小西嘉幸訳、白水社、1982年/新装版1999年)

ジャン・スタロバンスキー(1920- )*1が、18世紀フランスの芸術と思想を「自由」をめぐる問題系として読み解いた書物。啓蒙主義とロココ趣味、崇高と優雅が同居する18世紀フランスは、なによりも感情と運動を重視し、そこから互いに相容れないようなさまざ…

 アラン・コルバン『風景と人間』(小倉孝誠訳、藤原書店、2002年)

アラン・コルバン(1936- )がおもに18世紀以降のフランスの「風景」の歴史について、インタヴューに答えるかたちで語った書物。物理的な環境が、ある特定の捉えられ方をすることで「風景」となる。そこには、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚、触覚、さらにはそ…

 池上俊一『身体の中世 (ちくま学芸文庫)』(ちくま学芸文庫、2001年)

中世西ヨーロッパにおける身体の在り方や、身体についての思考、身体を通しての思考を概観した書物。中世も現代も人間の身体構造自体はそれほど変化がないにしても、その捉え方は大きく異なっている。もちろんそれは儀礼や衣装、医学(治療や衛生)などの場…

 カルロ・ギンズブルグ『ピノッキオの眼―距離についての九つの省察』(竹山博英訳、せりか書房、2001年)

カルロ・ギンズブルグ(1939- )による1998年に刊行された論文集。ギンズブルグはこの本で、「イメージ」「表象」「異化」「虚構」「スタイル」「パースペクティヴ」といった概念を、語源やあるいは古代の用法に遡って考察している。語源学的な分析は、ハン…

 ミシェル・ド・セルトー『歴史のエクリチュール (叢書・ウニベルシタス)』(佐藤和生訳、法政大学出版局、1996年)

ミシェル・ド・セルトー(1925-1986)による歴史記述についての論考。理論的考察と具体的な宗教史の記述(さらにはフロイトのテクスト)とを往還しながら考察が展開される。セルトーの歴史記述理論の核心は、「過去について」「現在において」書くという行為…

 アーサー・ダントー『物語としての歴史―歴史の分析哲学』(河本英夫訳、国文社、1989年)

歴史の言説を「物語り」概念によって分析したアーサー・ダントー(1924- )の最初の著作(1965年)。ダントーがこの本で試みているのは、「歴史の仕事は過去をありのままに追体験すること」という歴史主義への徹底した反駁と言えるが、それを歴史言説の論理…

 Giorgio Agamben, Infanzia e storia, Einaudi, Torino, 1978; nuova edizione, 2001.

ジョルジョ・アガンベン(1942- )の『幼年期と歴史』から「時間と歴史」を読む。歴史にはかならず特定の時間経験(表象ではなく)が伴っている、として、アガンベンはアンリ=シャルル・ピュエシュを参照しつつ、ギリシア=ローマにおける円環としての時間…

 ジャック・ル=ゴフ『歴史と記憶』(立川孝一訳、法政大学出版局、1999年)

ジャック・ル=ゴフ(1924- )による歴史の歴史、および歴史科学の方法論についての考察。ル=ゴフは、「歴史とは過去の再構築である」という視点から実証主義と歴史主義を批判するアナール派の歴史家だけあって、歴史における〈現在/過去〉の錯綜したかか…

 Georges Didi-Huberman, Devant le temps, Minuit, Paris, 2000.

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(1953- )の『時間のまえで』から「開かれ、アナクロニックな学問としての美術史」を再読。ディディ=ユベルマンの狙いは、これまでの歴史学の方法論的前提だった「影響」や「原型」による時間モデルを批判し、ヴァールブ…

 カルロ・ギンズブルグ『神話・寓意・徴候』(竹山博英訳、せりか書房、1988年)

カルロ・ギンズブルグ(1939- )の1986年に刊行された論文集。空間的にも時間的にもかけはなれた歴史的出来事を比較したいという誘惑(=「形態学的」方法)と、時間的・空間的連続性にもとづいた厳密な記述をおこなおうという意志(=「歴史学的」方法)と…