The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

老子(神塚淑子)、アウグスティヌス(松崎一平)、塩川徹也

神塚淑子『老子』(2009) 松崎一平『告白』(2009) 塩川徹也『発見術としての学問――モンテーニュ、デカルト、パスカル』(2010) デカルトが20歳のときの学位論文の献辞なるものが、塩川徹也『発見術としての学問』で仏訳から重訳されていたので、なにげな…

 『象徴図像研究』の

『象徴図像研究――動物と象徴』(和光大学総合文化研究所、松枝到編、言叢社、2006年) 『象徴図像研究』第1〜11号、和光大学象徴図像研究会、1987〜1997年 イメージの問題を考えるうえで、いまや「人類学」と「生態学」の視点の重要性を説き謳う声は喧しいも…

朱子(木下鉄矢)

木下鉄矢『朱熹哲学の視軸――続朱熹再読』(2009) とりわけ第六章の「「事」「物」「事物」「事事物物」」がタイトルからして迫力満点だが、この書物全体を通して朱熹における「事・こと」と「物・もの」の理解が徹底的に問いなおされていると言えるか。山田…

朱子(木下鉄矢)、荘子(中島隆博)

木下鉄矢『朱子』(2009) 中島隆博『荘子』(2009) この二冊の書物を読むかぎり、意識を取り払えば万物の無差別があらわになるという仏教的な発想とむしろ相反するような、いわば個体性と差異を掬いあげる戦略を、荘子にも朱子にも見いだせるよう。 それに…

スフラワルディー(鈴木規夫)、アヤダ

鈴木規夫『光の政治哲学』(2008) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) イスラーム美学を理解しようとするなら(つまりイスラーム文化の生み出した芸術をきっぱりと思想から切り離してしまうので…

ジュリアン

フランソワ・ジュリアン『勢』(原著1992) 「比較」という方法の第一の陥没はニュアンスの掻き消された(あるいは歴史のない)のっぺりした理解を生み出してしまうことだが(これは比較項が固定されてしまうとすぐさま生じる)、総体としての「西洋」なるも…

李沢厚、河野道房、アヤダ

李沢厚『中国の伝統美学』(原著1989) 河野道房「前近代中国絵画関係文献の形式と内容」(上+中+下)(1999-2001) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) 中国の芸術論は早くから「表象」ではな…

宇佐美文理、アヤダ

宇佐美文理「神思と想像力」(1996) 同「六朝芸術論における気の問題」(1997) 同「中国芸術理論史序説」(2005) 同「〈形〉についての小考」(2007) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) ヨー…

李沢厚、杉田英明

李沢厚『中国の伝統美学』(原著1989) 杉田英明『事物の声、絵画の詩』(1993) 李沢厚の書物によれば、「公では儒家、私では道家」というのが大ざっぱな中国の思想の棲み分けだと良く言われるにしても、それは「倫理では儒家、美学では道家」というわけで…

謝赫、福永光司、クルアーン(小杉泰)

謝赫『古画品録』(6世紀前後) 福永光司『中国の哲学・宗教・芸術』(1988) 小杉泰『クルアーン』(2009) モーセ、イエス、ムハンマド、それぞれがおこなったとされる「奇跡」の違いが面白い。モーセでは呪術師との対決が、イエスでは医師との対決が背景…