The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

吉田健一『文学の楽しみ』

吉田健一『文学の楽しみ』、講談社文芸文庫、2010年(初版1967年)

 文学をその楽しみにおいて理解するとは、言葉をどこまでもその過程のなかで把握することだ。それゆえ本書ではあらゆるかたちの還元主義的な文学理解が斥けられていく。過程のなかで把握される言葉は、形式と内容とに分離してはいない。吉田健一が「文学は学問ではない」と述べるのは、学問=知識としての文学の内容だけをその形式から抽出するなら言葉はその過程を失い、ゆえに魅力を失ってしまうからだ。言葉の魅力はその息づかい、呼吸にあり、呼吸と一つになった言葉が文体であるという。風景を描くのであれ、近代の空虚を嘆くのであれ、それを語る息づかいが魅力をもつのは、文学も友人も変わらない。

 言葉をその全面的なはたらきにおいて把握するには、精神を全面的にはたらかせる必要がある。文学を楽しんでいるとき、他のことはまったく考えない。そこから吉田健一は、知的・抒情的・意志的といった文章の分類とあわせて知・情・意という精神の分類も斥ける。全面的にはたらくものをそのようにこま切れにするのは、皮膚の色で人間か否かを考えるにも等しいという。吉田がまた唯物論を斥けるのも、それが還元主義的な発想であって、言葉と精神の全面的なはたらきを限定してしまうからだ。分析はすべて斥けられ、徹底した総合がおこなわれる。

 チェーホフによれば、雨が降っていれば雨が降っていると書けばいいことになる。だが吉田健一からすれば、チェーホフの言う雨は科学から見て限定された雨であって、雨という言葉の全体をはたらかせる文学の雨ではない。チェーホフトートロジーが何か一つの「文字通りの意味」なるものに還元するのとはまったく逆に、吉田がしばしばもちいるトートロジーは雨なら雨という言葉の歴史性から来る含意すべてを包摂するものだ。詩は歌い、散文は考える文章だと、ひとまずは区別できたとしても、言葉はつねに全面的にはたらこうとして、詩も散文も一つの世界をつくる。

 文学といえば小説となってしまったのは、吉田健一によれば、小説が人間とその行動を描くもので、人間はいつどこの人間でもさほど違わないため、小説を読むことには詩や批評などよりも予備知識が少なくて済むからだろうという。しかし言葉が全面的にはたらいて一人の人間を出現させるのは、小説か否か、軟文学か硬文学か、といった分類には関わりがない。そしてその出現する人間はまるごと生きた一人の人間でなければならず、性格や信条や行動を合成してもできはしない。これは人間を思想、一本の木、昔見たボッティチェッリの絵にしても、同じことだ。

 牧谿の絵が世界を象徴する一方で、ティツィアーノの絵は世界を創造しているように、東洋でははじめから象徴主義が展開されたが、西洋では近代になって象徴主義に達したという。近代性は象徴主義と別のものではない。吉田健一河上徹太郎を踏まえて、林檎が赤いと言えば林檎が赤いことだけを理解し、鋤を鋤と呼ぶ「自然人」に対して、近代人にして象徴主義者たる「純粋人」はそこに赤い林檎の影の紫、鋤の影や光沢までを含意させる、とする。これはチェーホフの雨と吉田の雨との相違を言い当てるものでもあるか。ともあれ東でも西でも文明の域に達した人間は象徴主義者になる。

 言葉の全面的なはたらきによって成り立つ文学が結局のところジャンルや性格で分類しえないように、「古典」かどうかという分類もありえないものであって、そうしたものは作品に接する妨げにしかならない。もし「古典」と言うのであれば、その範囲は文学の全体と一致し、文学の全体は言葉の世界のすべてを覆い、これは人間の経験しえたあらゆることと別のものではない。

 西洋においても人間は人間であって、その精神自体に特別なところはないにしても、万事において普遍性の観念を引き出さずにはいないその精神のはたらきの仕方は一つの独自の世界を形成するに足るものだという。たとえば恋人が全世界になるというような恋愛の観念は、西洋ならではのものだ。そして恋愛でも、オデュッセウスでも、理性でも、それは一個の作品や一人の作者によってだけでなく、それらに言及したすべての作品と作者によって形成されている。そのように、ヨーロッパ文学は壮麗な建築としてある。

 何の役に立つのかという問いは人間のすることなすことにつきまとうが、楽しみはそれ自体で充足していて、それ自体で求められるものだ。吉田健一によれば、言葉を極限にまで生かす文学の営為は、そうすることでしか知りえないものを認識させ、その認識が美をもたらし、楽しみを与える。この認識は、知識とそれを知る行為とに分離される以前の「影像」だが、そうして認識されるのはつまるところ生そのものだ。言葉をまるごと生かすことは、人間の全体、人生それ自体の表出にほかならない。文学は生命の表現であるとは、言い古されたことであっても、変わることなく真理である。

 吉田健一は文学と生活を対立させる発想をはっきりと斥け、「我々の生活に文学の世界が続いている」とする。しばしば生活よりも文学のほうが生き生きとして現実的でありうるとしても、そもそもの現実が認識と分かちがたく、認識もなくただ流れるだけのところには現実がなく、言葉をまるごと生かして認識されるところにこそ現実があるゆえに、そうなるのだ。現実は物理的かどうかということとは無関係で、およそ存在するもののなかで物理的なものはごく一部にすぎない。現実とは親しむものであって、だから文学がわれわれの周囲に目を開かせ、われわれの生活が文学によって拡げられることになる。

 文学にとっての新しさとは、一回かぎりの新しさではなく、毎回変わらぬ新しさのことだと、吉田は言うが、これは生命の刻々の新しさ、親しむほど見いだされていく現実の豊かさと別のものではない。何か役立つ情報を得るつもりで本を読みはじめても、その新鮮な印象のほうが勝って、結局は有益というよりも端的にいい本だということになったりする。新しさはそれほどの魅力をもつ。とはいえ、そうした新しさはそれ自体として目指すことのできるものではなく、新しさ自体を求めて文学を書こうとしてもどうにもならず、生きた言葉の属性として結果的にもたらされるほかない。

 つまるところ文学の楽しみは生きる喜びと別のものではない。現実が認識と分かちがたいように、生きることは生きる喜びを知ることと同じである。目が見えるとは見るものに喜びを感じることだ。それだから吉田健一は、怒りや悲しみであっても、その適確な表現は生命の表出であって、根底には喜びがあると言い、悲劇もまた生の賛歌であるとする。喪失を嘆くとき、その嘆きの表現によって、失われたものがふたたび出現するのだ。そうして文学は生活と連続し、人生を延長していく。このような生命と認識と享受の一体化こそが、生の形式をなすのだろう。

 文学を読むには自分で読むしかなく、音楽を聴くには自分で聴くしかないように、孤独がいわば根本的な人間の条件だ。詩を読んでも役に立たない、人生の苦境から脱け出せないと言うことは、友人と話しても自分の問題が解決しないのと同様で、自分のことを文学や他人に押しつけるのが筋違いであり、自分のことは自分でするほかない。だから文学を読むとき、音楽を聴くとき、人間は自分自身に立ち戻り、沈黙がたちこめる。このとき、自分はすべての人間と同じ一人の人間になる。この孤独は精神の集中そのものだ。そして分析も分解もできない純一な幸福だ。

吉田健一『文学概論』

吉田健一『文学概論』、講談社文芸文庫、2008年(初版1960年)

 言葉はただの一語でも、文の断片でも、それで一つの全体をかたちづくり、自然の秩序とは別の秩序を打ち立てる。そうした言葉の全体性を、吉田健一は、意味や定義へと縮減してしまうことを周到に回避し、歴史上それがそう使用されたというすべてを言葉に包摂していく。本書は、章立てこそ「言葉」「詩」「散文」「劇」という文学のジャンル論になってはいるものの、一つの徹底した非還元主義的な言語哲学の試論として読まれるべきものであろう。

 吉田健一からすれば、小説が人物を形象化するのであっても、哲学が概念を形象化するのであっても、そこでの言葉のはたらきに違いはない。つまるところ言葉で語られるすべてが文学であり、言葉はそれがそう使用されたすべてであるとされる。そのように理解された言葉は、ただ意味や知識を伝達するものではない。われわれを納得させ、われわれにひとりの人間を感得させるものだ。

 そのうえで、吉田健一にしたがうなら、詩は自由の状態にある言葉で、散文は精神の運動としてある言葉で、劇は人間の抵抗による言葉であるという。詩は世界でありつつそのままで行動でもあり、ゆえにしばしば行動に駆り立てもする。散文は見ること描くことで、そうして認識をもたらす。劇は対立のなかから人間が言葉を発するその発生の場である。言葉はつねに何かに抗って、自然の秩序に逆らってこそ、発せられる。そうであれば、対立を飼い慣らす文明は、もし行き過ぎれば、人間を消滅させてしまうだろう。

 いずれにせよ、言葉が言葉として十全にはたらくとき、言葉はそれを使用する生のものであることになり、生きることそのものと区別できなくなる。本書でかたちをなしつつあったこの吉田健一言語哲学は、しだいに文学以外にも拡張されていき、やがて『ヨオロッパの世紀末』のような文明論へ、そして『時間』のような生の哲学へと結実していったように思う。

星野太『食客論』

星野太『食客論』、講談社、2023年

 人の群れは得も言われぬ魅惑と嫌悪を引き起こす。話すため、食べるため、寝るため、人々は互いに集まり、また互いを避ける。その複雑で曖昧な関係を、本書は「寄生 parasite」の概念でもって、そして寄生する「食客 parasite」の形象において、描き出していく。そうして示されるのは、さしあたって贈与論と他者論の裏面と言えよう。だがさらに、飲食と会話、味覚と言語、感性と理性が交錯する「口唇」のトポスにまつわる美学的問題群の輪郭でもあろう。

 本書によれば、今日しばしば語られる共生は実のところ目標というよりも事実だという。しかも「共生」を語れるほどの明確な自他ないし友敵の区別のない、もっと曖昧で振幅のある「寄生」と見なすべきという。

 この寄生の形、寄生する食客の姿が、まずはロラン・バルトの、および彼が論じたブリア=サヴァランとフーリエの描く食卓のありように探られていく。人間は動物であるから食事をするというのに、食卓の作法は、人間がいかに動物を脱け出て、社会化したか――その社会像は保守的なブリア=サヴァランと革命的なフーリエとで対照的ではあれ――を示す。それというのも、食客の根本が口を介した食物と言葉の交換であるからだ。

 ついで、ルキアノス食客』を通して、口を媒介に食物と言葉を交換する食客のありようが、哲学者とソフィストの対立を突き崩すものとして捉えられていく。言うなれば、哲学と弁論術、論理と修辞の対立に覆い隠されていた「生」の次元が、ここで明るみに出されているように思う。この次元にいるのは、友でも敵でもない中間的な他者だ。そのような他者の形象として、本書ではキケロの海賊もディオゲネスの異人も読み直されていく。

 かくして寄生という関係は、単純な食う食われるの力関係ではなく、一方的な搾取でもありえず、配慮や気遣いに満ちた繊細なものであることになる。本書で「存在論的口唇論」という名称で呼ばれているのは、そうした無限なまでに繊細なニュアンスを「口唇」の多義性において把握する試みである。そのニュアンスは、九鬼周造を通して偶然の味わいとして理解され、その偶然の運び手は北大路魯山人を通して人間から坐辺の物へと拡張される。とはいえその後、石原吉郎にいたって、口は食物でも言葉でもなく酒と茶に向けられ、他者が、関係が、消えるにいたる。

 パラサイトの条件は、本書にしたがうなら、いるべきでないところへ移住し、かくあるべきという法を侵犯し、けっして同化も安住もしないこと、の三つに集約される。そのような者たちは、対話できるにしても、包摂も排除もできない――包摂も排除もできないが、対話はできる。そうした食客の寓話として、最後にポン・ジュノの映画『パラサイト』とハーマン・メルヴィルの小説『バートルビー』が読み解かれている。翻って、バルトの晩餐から石原の茶会まで、本書に描き出された寄生する食客たちの姿は、さながら転生を繰り返す寓話の登場人物のようだ。その人物は、どちらかといえば主役というよりも脇役にふさわしく、でもふとどこかですでに出会っていたかのような印象を与え、記憶を攪乱するがゆえにこそ思い出に残る。

吉田健一『時間』

吉田健一『時間』、講談社文芸文庫、1998年(初版1976年)


 時間がたつのを感じることは、たんに時計が動くのを見ることではなく、今ここにいる自分と自分のいる今ここの世界の変化を認識することそのものだという。これは生きて親しむことと別ではない。吉田健一は、いわば時間の抽象化を斥けて、時間を徹底して具体的な事物、状況、世界に内在させるがゆえに、時間こそが世界として広がるのだと論じるのだろう。この時間としての世界はまるごとの全体であって、物質に限定されはしないし、精神と言葉の及ぶかぎり広がるから事実か虚構かという区別もなく、現在も過去も包括して、ただそこにあって脈打っている。

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 過去に触れるという歴史経験は、吉田健一にあっては時間を呼吸して生きるときの常態なのだろう。言葉が理解されるとき、その言葉とともに時間が脈打ち、その言葉の語ることがまさに現在である。言葉は内容のみならず状況をも伝え、そうして世界が拡がる。それは言葉が石像でも変わらない。歴史家が歴史を書けるのはそうした言葉の働きがあってのことで、歴史のほうが歴史学よりも先にある。歴史学の示す事実は、それだけであればそれだけのことにすぎず、結局は文献の二番煎じでしかなく、歴史にならない。世界である歴史は、詩や神話と同様に、そこに確かにあって、時間を刻んでいる。

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 吉田健一によれば、近代が二度の世界大戦を経て解体し、人間と時間の観念が回復してきたという。完璧を求めた近代は、人間よりも仕事、時間の流動よりも時間からの独立を重んじて、しかしそれでも人間と時間はありつづけたので倦怠に陥った。倦怠を脱け出ようと時間を求めたプルーストも、たしかに吉田健一と同様に時間を現在と過去とに分割しえない自分がまさにそこにいると認めさせるものと見てはいても、近代的完璧さにとらわれて時間から流動を否定した。だが時間は刻々に流動し、時間とともにあることで人間は人間に、月は月に、海は海になる。その歴史を有して、たんなる一種の動物や天体や水溜まりではなくなる。

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 それがそこにたしかにあるという現実は、時間の認識と不可分のもので、馴れ親しんできた年月がものをいう。住んでいる家がその典型であるし、だから自分に親しむことが生きることだとさえ言える。文学が成り立つのも、吉田健一にしたがうなら、これにもとづいてのことだ。時間がただそこにたしかにある世界であるがゆえに、何をするにも時間が必要で、時間は何にでも役立てられる。ただそこにあるものがそのときどきで目的にもなれば目的のあるものにもなるが、その目的が達せられたなら目的は消えて、またただそれがそこにある。時間とはそうした世界なのだ。

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 吉田健一にとって時間と生とはほとんど同一のものだ。歴史学による事実の羅列がいくら正確であろうとどこまでいってもそれだけのことであるのに、あるとき誰かがこう述べたという言葉を知ると急に生き生きとしてくるのは、その言葉を中心にして時間がたちはじめるからだという。ヨーロッパ中世の彩色写本やヴィヨンの詩の魅力は、そうしたところにある。一般論のようなものは抽象的で他人事にとどまらざるをえないが、それを具体的に生かすのが時間であり、時間がたつところに生がある。だから時間とは親しく感じられるものであって、生にして生きる喜びなのである。

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 吉田健一は認識の具体性、具体的な認識を、物質よりも時間に関連づける。海を具体的に摑むとは、ただの水溜まりを見ることではなく、海と時間を過ごして親しむことだ。時間から抽象された事実はただそれだけのものでしかないが、しかし時間において具体的に摑まれた現実はわれわれに語りかけてくる。そのようにして愛も死も具体的に摑むことができる。精神はそれだけ広がり、自由になっていく。時間のなかでたえず働いている精神が時間において具体的に摑んだものは、精神全体に響いて、精神を変容させ成熟させるのだ。具体的な確かさはそうした動きのなかにしかない。

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 もし時間がないとしたら、物質からして存在せず、生命も精神もないことになるだろう。つまり端的な無であり、東洋的な潜勢力としての無ではなく、西洋的な虚無である。吉田健一によれば、この無への恐怖が、西洋の恋愛詩における女性の美と死との対照の背景にあり、ゴシック聖堂などもこの無に対抗してのものという。だが西洋では、大鎌をもった老人姿の時間の寓意像に示されているごとく、かえって時間こそがこの無へと導くものとされ、無にいたる過去と永遠の現在とが強く対比された。過去と現在とを統合した時間の回復は、ボードレールを俟たねばならない。

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 時間と空間とを区別できるとはいえ、空間が空間になっていくのは時間のなかでこそだ。場所も物質も時間があってこそまさにそのものになっていく。大理石の宮殿は、ただ大理石ないし石灰岩であることに尽きるのではなく、その空間のなかの陰影と音響が人間の生を示すからこそ、そのものになる。物質的な事物は消滅していくとしても、しかし消滅よりもそれがそうであるという真理をわれわれに語りかけて、親しみを抱かせる。吉田健一のいう時間は生命の成熟であるとともに関係の網目であり、一つの味から海を思い、海からすべてが思われるように広がっていく。

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 意識は時間なしにはありえないのだから、意識はすべて時間の意識であり、そのようなものとして世界の意識であるという。そして言葉も時間の経過のなかで意味をもつがゆえに、詩には韻律があり、それは実は散文でも変わらない。発見の瞬間だけでは何ものでもない。発見されたものがこれまでの世界に加わって、それだけ世界が拡がり、親しみが増すことではじめて、発見は意味をもつようになる。世界は全体性のような抽象ではなくて、一つのものから次のものへと移ることのできる拡がりであり、しかもたんなる拡がりではなく、一つになっていくものなのだ。

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 近代性は倦怠と焦燥をもたらしたと、吉田健一は繰り返す。近代は完璧さを求めて、不純さを除外することで、かえって限定された不完全な意識を生じさせ、倦怠と焦燥をもたらした。この近代の倦怠は中世の怠惰とは違い、意識が意識的であろうとする不自然さゆえのものだ。ここから吉田健一が脱却するきっかけの一つが、ルーヴル美術館のミロの美神像であったという。これを大理石の塊と見るのではなく、日の廻りとともに多彩に色合いを変えるそのすべてと見ること――当初はロダンの言葉を確認するためだけにそこで一日過ごしたのだとしても、この経験は何十年たっても吉田健一のなかに息づいている。

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 忘却されたものが想起されたとき、部分ではなくつながりの全体が戻ってくる。ただ一つの日付だけでは意味をなさず、その文脈とともにでなければ何も思い出したことにはならないし、思い出したという確信ももてない。すべてはつながっている。夕日が夕日に見えるのは朝や夜に対比されてのことであり、そこには夕のみか朝も夜もある。能「卒塔婆小町」では九九歳の老婆がそのまま絶世の美女たる小野小町である。この認識は時間とともに深まる親しみそのものであり、親しみは具体的な細部から始まって拡がっていくが、これを吉田健一は一七世紀オランダの静物画の光沢表現でもって説く。

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 自己は意識であるにしても、意識されるすべてを包括してその人間があるのであって、それは自己意識ではない。意識を自己意識に限定してしまうと、自己を時間から分離する誤りに陥る。そうして現在ではない過去がつくりだされてしまう。だが歴史のどの時点も意識されればそこに生きることになるし、絵画も建築もそこに現にあり、進化した生物もまたそうである。すべては時間として拡がっている。神話がたんなる捏造でないのも、そこに言葉通りにあるからだ。言葉とその意味を混同してはならない。それがそこにあり、自分もそこにいる、というのは理解も解釈もできないが、解らないけれどもあるものはいくらでもあるのだから。

吉田健一『ヨオロッパの世紀末』

吉田健一『ヨオロッパの世紀末』、岩波文庫、1994年(初版1970年)

 

 吉田健一はヨーロッパ文明の完成を18世紀に見る。それは18世紀に、古代のギリシア・ローマ文明とは異なるその性格が明確になり、当然のものになったということだ。ギリシア・ローマとヨーロッパ、古代と近代との違いは、なにより自意識のありようにあるという。エウリピデスのメデイアとシェイクスピアマクベス夫人とでは、前者にとって自分が女であることは何をしようと自明であるのに対して、後者は女であることをやめさえして自分を見失うにいたる。このヨーロッパ人の後ろめたさ、暗さ、影は、キリスト教に由来し、永遠をまえにしてつねに自己を注視しつづけるがゆえのものだ――逆説的にも、古代の格言「汝自身を知れ」が意味をなさなくなるほどに。

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 吉田健一によれば、人間が人間と認められるのが文明の状態であり、それにもとづいて認識も行為もかたちづくられる。他人を道具や手段と見なさないことはもちろん、理性を尊重して遊戯を楽しみ、優雅・いたわり・快楽に価値が置かれる。この点で、ルネサンスはまだ文明の若さの発露であって、その成熟はロココにいたってのことだという。成熟は、一般に詩よりも遅れて発達する散文がヨーロッパでは18世紀に完成したことにも示されている。ギボンのそれのごとく、執筆は生活と区別されず、息をするように書けるものになった。さらに進歩の観念も精神の解放をもたらして、革命の観念とは反対に、現在を認めながら希望をもつことを許した。

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 18世紀の精神はなによりまず自由であり、すべてを懐疑の対象にしえて、理性を存分に働かせながら、それがヒュームの哲学に見られるごとく優雅な言葉や洗練された社交と別のものではなかったと、吉田健一は指摘する。この自由の精神はまたヴァトーの絵画、モーツァルトの音楽にも示されていて、それは時代の反映というよりも――まして時代によって説明されるものではなく――そこに18世紀ヨーロッパがあり、この時代から離れたところにいる者にも精神の自由を感得させる、と。社会は進歩するが人間は変わらないことを知っていて、希望と諦念、優雅と果敢なさが絡まりあい、諷刺に自分自身をも含めずにはいなかった精神だ。

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 吉田健一はヨーロッパ19世紀をいわば分化の時代と捉える。18世紀に完成したヨーロッパが分業化し専門化して、いっそう発展したとは言えるにしても、ヨーロッパらしい全体性が見失われて、精神の自由も消失する。優雅と諦念をもって精神を自由に遊ばせた18世紀に対して、19世紀は観念に奉仕し、自由・平等・博愛という観念の純粋性を人間よりも優位に置いたという。そうして、神でなくとも批判してはならないものが増殖し、堅苦しく威圧的な態度が基調になる。18世紀の理性は19世紀の合理主義に変わる。個性があるからこそ普遍につながりえるのに、19世紀ヨーロッパは個性的なものを脱け出して一般的で抽象的になる。

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 19世紀のヨーロッパはとくに政治と科学において世界に影響を与えた。その政治は、観念に奉仕して、精神の自由を失った。同様に科学も、視野を物質に限定して、それゆえ正確で無尽蔵の発見をするようにはなっても、視野狭窄となったことにちがいはない。だが、吉田健一の指摘することでは、物質は人間の反応を原始的な驚異にまで引き戻すところがあって、それゆえの科学の全能感はすべてを――詩さえも――科学で説明しようという倒錯をもたらしたという。科学が進歩しても人間の生きる幸福は変わらず、むしろ生きるための条件が増えて困りさえするというのに、進歩の観念の変質により人間そのものの進歩すら信じられるようになったのだ。

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 19世紀のヨーロッパ文学はロマン主義とされる。キリスト教により自分の限界を見失うとともに自意識を得たヨーロッパ人は、18世紀に自分と他人を同様に意識するという均衡によって文明を完成させたあと、19世紀にはそれでも自分の意識の直接性と内密性に執着してロマン主義にいたる。ロマン主義らしい苦悩と反抗は、言うなれば神よりも神の不在に対してのもので、自分を確かめるための相手を失った空白の状態だと、吉田健一は見なす。ここでは精神も散漫なら言葉も曖昧で、文学はその観念の型通りに泣ければよいものだったという。バイロン『チャイルド・ハロルドの遍歴』の読者が求めたのはハロルドという人物であって、バイロンの詩ではなかった。

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 吉田健一によれば、ボードレールは健全な精神をもっていたからこそ19世紀のヨーロッパに反発したのだという。彼の「パリの憂鬱」は、ロマン主義的に憂鬱を気取っているわけではなく、時代への正確な認識と描写をおこなっている。ここから世紀末が始まる。世紀末のいわゆる頽廃は、自由に精神を働かせて言葉を使うのが病的とされた19世紀の視点から見られたものであり、世紀末の反逆の芸術家も、ロマン主義的なものではなく、ロマン主義に毒された19世紀の俗世間から離脱する身振りだったというのだ。これはまた、詩は言葉である、という伝統への復帰でもあったという。ボードレールは何より卓越した詩人である。

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 吉田健一はヨーロッパの世紀末を認識する時代と性格づける。その典型はヴァレリーのテスト氏だ。言葉の認識が制作と一致する詩と批評が発達する。ヨーロッパの全体が見えてきて、歴史が書かれるとともに芸術が生まれ、ヨーロッパの過去が生きはじめる。過去があるほど現在は豊かになる。そうした世紀末の時間意識はプルーストやラフォルグにあらわれる。そうしてワイルドはビアズリーとともに古代に生きる。世紀末は同時代性に閉ざされず、プラトンデカルトもその現在をなし、それは一枚の木の葉や印象派の絵やラフォルグの秋の雨に濡れた公園の腰掛けと同じであった。

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 ヨーロッパの世紀末はそのままヨーロッパの近代であり、ふたたび文明の状態に達した時代であったという。ここで吉田健一が強調するのは、近代がある普遍的な状態――ヨーロッパ世紀末のみならずトラヤヌス帝治下のローマや平安の日本にも見いだしうる――を指すとともに、それを生じた文明ごとの個性をはっきり示すことだ。ホイッスラーの絵画、ボードレールの詩、ヨハン・シュトラウスの音楽、ベルクソンの哲学、そこにヨーロッパがある。19世紀の無個性と抽象性に対するヨーロッパらしさの回復が世紀末であり近代であるなら、近代化とはまず個性化、その場所ならではの生の形式の確立でありその認識ということになるだろう。

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 19世紀のヨーロッパが抽象化によって個性を失い、科学と政治の万能を信じ込み、どこでも通用する規範の陳列所のごとくなっていたのなら、世紀末にヨーロッパはヨーロッパになった。ミレーの農夫の抽象性に対してマネのカフェは具体的にパリに親しみを覚えさせる。ドガセザンヌの絵も、またマラルメやラフォルグの詩、セザール・フランクの音楽でもそうだ。吉田健一によれば、芸術に惹かれるのはまずそこに人間を感じるからだという。それが親しみを覚えさせ、具体的だからこそ普遍につながる。言葉は、「太陽」でも「平和」でも、一つのことを通して世界すべてを指すものであり、この認識が世紀末の象徴主義になった。

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 キリスト教もヨーロッパの性格をなすものであるからには、世紀末にはキリスト教の復活ないし更新もあった。これは神が19世紀的な観念であることをやめて人間的になったことだという。永遠をとるかとらないかという宗教の問いがキリスト教のかたちをとったのがヨーロッパの人間であって、それゆえ世紀末のキリスト教にもヨーロッパがある。ボードレール、ホプキンス、ヴェルレーヌランボーの詩で詠まれた神は、芸術と同様に、まさにそれであるものに戻り、神という個を通して全を摑むことができるようになった。

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 ヨーロッパのキリスト教には、中国の中華思想と同様、他者を人間とみない排他主義的なところがあったと、吉田健一は指摘する。だが自分たちが人間で、他人たちは人間でないとすると、その自分たちはどこの人間でもない人間になり、その人間の観念そのものを怪しくしてしまう。自己と他者の均衡を打ち立てた18世紀につづいて、ヨーロッパが鬼でも紳士でもなくヨーロッパ人の住むヨーロッパに戻った世紀末は、だから人間の復権である。吉田はトインビーの歴史観が19世紀的な観念性に引きずられていることを批判して、ヨーロッパの近代文学が典型的に伝えているような個性こそが普遍にいたるのだとする。人間とその文明は普遍的で、だからこそそれぞれに個性を有しているのだ。

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年(原著1962年)


 有用性や実用性ではなく、知的な快と好奇心のほうが人間にとって根源的なものだという示唆が、本書の随所にちりばめられている。新石器時代の技術革新の数々が人類文明をつくりだしたが、それらは偶然の発見でも、有用なものの追求の所産でもありえず、人類がその起源からすでに喜びとともに蓄積してきた知識によってこそ生じたという。

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 万華鏡の比喩でもって語られる具体の科学の論理は、ルネサンス期の分類学にも似て、内容からそのつど形式だけを抽出してはたらく。この多値論理は、内容の完全な捨象によってよりも、異なるレヴェル間の互換性をたえず生み出す点で、汎用性をもつ。そのような互換性ゆえに、認識は感性から知性へと上昇するのではなく、感性がはじめから知性的に認識するのだと、レヴィ=ストロースは言う。感覚の論理としての野生の思考は、その意味で、美学への論理学の全面的な取り込みだ。

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 万華鏡に引き続いて、レヴィ=ストロースは野生の思考を合わせ鏡の部屋にもなぞらえる。アナロジーによる思考が鏡のアナロジーで語られる。また、異文化社会の慣習に心動かされるとき、その慣習は変形鏡としてはたらいて、自文化を見慣れぬ姿で映すと、レヴィ=ストロースは言う。鏡がアナロジーと互換性のモデルとして、さらに構造をかたちづくる変形と翻訳のパラダイムとして、引き合いに出される。 

クロード・レヴィ=ストロース『人種と歴史』

クロード・レヴィ=ストロース『人種と歴史』(新装版)荒川幾男訳、みすず書房、2008年(原著1952年)


 人類文明の飛躍的発展となった新石器時代の革命と近代の産業革命は、一つの優れた文明からではなく、いくつもの文化の提携から起こったという。人類は、差異と提携によってこそ、その生を増大していける。よって、現在において救わねばならないのは、優れた文化の歴史的内容よりも差異という事実であることになる。発展は、相対性理論で語られるのにも似た相対性を示す。科学の進展も、無からは生じず、そのつど過去の蓄積を引き受けなおすところに起こる。

クロード・レヴィ=ストロース『みる きく よむ』

クロード・レヴィ=ストロース『みる きく よむ』竹内信夫訳、みすず書房、2005年(原著1993年)


 レヴィ=ストロースは一個の作品のなかにつねに選択を見る。つまり、別様でもありえたなかでなぜこのように実現されたのかを問う。このとき構造とは、その別様の可能性の体系だ。一個の作品が可能性を汲み尽くし、構造を実現することはない。構造はむしろ、プッサンが同じ題材で繰り返し描き直すことを可能にし、そのプッサンの作品に対してディドロらが夢想を紡ぐことを可能にする。知性的分析がしばしば感性的直観のあとを追うばかりなのも、構造をたどるからだ。

クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』

クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順三訳、中公クラシックス、2001年(原著1955年)


 過去を、現在は失われてしまったものとしてではなく、現在に広がっているものとして捉えるとき、構造が見えてくる。風景や地層のように地理的な広がりへと分散するその交換と変形が、歴史の構造であり、構造としての歴史だ。とはいえ、それを見抜く眼は忘却によってこそ鍛えられるという。「古びた経験に私が差向かいになれるのに、二十年の忘却が必要であった」とは、構造主義が記憶術ならぬ忘却術であることの謂いなのか。デカルトの二十年、ヴァレリーの二十年にも比すべき、レヴィ=ストロースの二十年だ。

多木浩二「装飾の相の下に」

多木浩二「連載/装飾の相の下に」(全10回)、『SDーースペース・デザイン』第100号〜第103号、第106号〜第110号、第112号、1973年1月〜12月

 

芸術とも技術とも異なる装飾を、モダニズムは排除しようとしたが、それでも装飾はただ見かけを変えただけで残りつづけた。実のところ装飾は、多木によれば、人間にとって実存的な身振りであり、生きる場を構成するものであって、無意識に結びついてさえいる。だから物語でも描写でもないのに想像を掻き立てる。事物を空間に関係づけてイリュージョンの世界を生み出す。人間の自然本性を解放するために反自然的かつ人工的な世界をつくるものなのだ。

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扉口や窓などにあらわれるふちかざりは、境界という現象のパラダイムであるとともに、知覚とは異なる「現実との生命的な接触」たる「共感」(ミンコフスキー)ないし「内触覚」(ハーバート・リード)を示すものでもある。地と図を分節し、外と内の境界となることで、情報や意味をも分節するものだ。窓としての遠近法もこの枠づけの機能に関わる。それは人間の行動の空間的・身体的構造に根差すがゆえに、身体の境界にも王冠や腕輪としてあらわれる。

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認識の端緒であり意味の変形であるような「装飾的思考」は、図式化としての同化と謎化としての異化の二重の作用においてはたらく。装飾の適用される場、装飾のメディアは、物理的な形状ではなく文化的な図式であって(たとえば同じ壺でもミノス初期では「球」でありアッティカ幾何学様式では「直立形」)、装飾のモチーフはそこに同化されることで異化されて記号性を帯びる。人工のなかの自然、幾何のなかの説話、無意識のなかの意識だ。

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アンリ・フォシヨンとジャン・ピアジェを踏まえながら、多木は装飾という空間組織に人間の原初的な思考を見て、その空間組織の基盤にリズムを、そしてリズムを導く図式としてのステレオタイプを見いだす。装飾のモチーフが自然物から取られているのであれ、装飾を成立させるのはその自然物よりもそれを図式化するリズムであり、その図式となるステレオタイプである。その根源にステレオタイプがあるゆえに装飾は、ひいては人間の文明は、キッチュを捨て去ることができないだろう。

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装飾の基本原理とも言うべきシンメトリーには、ルネサンス建築の円形プランのごとく求心的で中心化するものと、バロック建築の楕円形プランのごとく遠心的で自己増殖するものとがあるが、いずれも自然から自立した法則性を示す。それゆえエジプト美術から象徴主義絵画まで、シンメトリーは世界の無秩序および死への抵抗として形成されてきたように見えるという。その根本には身体のシンメトリーがある。だが、宇宙を人体のアナロジーが消滅した現代では、シンメトリーはむしろ終末的なイメージを思わせるともいう。

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装飾の基盤には世界像と自我の不一致があって、シンメトリーが古典主義的な安定を与えつつも世界をコスモスとカオスに分裂させてしまうのに対し、マニエリスム的装飾はその分裂した生と死の境界にあらわれるという。マニエリストの自動人形から現代人のガジェットまで、装飾としての機械はこの分裂を「自動性」のイメージ――ベンヤミンの言うミッキー・マウスの奇跡――でもって縫合する。これが消費社会の疎外の根底にあり、バイクや自動車などの機械へのさらなる装飾はその疎外を示しつつ抗うものだ。

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装飾は空間を生の痕跡でもって、もっと言えば記憶でもって満たし、それゆえ空間ばかりでなく時間の隠喩にもなる。装飾において、装飾として、はたらく記憶は、個人的な思い出を追想させるだけのものではなく、一方では神話的記憶とも言うべき認識の図式をなしている象徴から、他方では消費社会のエキゾティシズムと感傷をくすぐるにすぎない記号まで、大きな振幅を示す。多木は前者を根本的なものと見ながら後者を批判し、そこに記憶と記録が分離して記録ばかりが溢れている今日の状況を結びつける。

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レヴィ=ストロースが料理について論じたような自然と文化との分節の観点から装飾をとらえると、装飾は自然のモチーフを図式化して文化に変容する一方で、その文化の空間に自然を回復しようともするものだ。プラスチックの造花はその現代的でキッチュな一例だが、歴史を通しての典型はなにより庭園だろう。多木は自然と文化が理想的秩序において一致するようなこの分節の操作を、アナロジーとしてだけでなくホモロジーとしても剔抉する。カルダーのモビールは、自然の外見をもたないが、自然のはたらきと相同的に作用して美を示す。

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多木は身振りをも肉体の装飾と見て、その身振りを引き立てる衣裳、さらに身振りをともなって使われる道具も、機能という以上に装飾として位置づける。もちろん生活のなかでの動作の多くは機能的なものだが、その動作をその人らしいものにしている身振りがかならず重なり合っている。ピンナップ写真やファッション写真はその身振りをポーズとして利用する。住居や都市までを身振りの延長線上に位置づけるのは無理だが、しかし社会的空間の歪みは身振りに反響し、そうして身振りは終末や未来を予感しうるだろう。

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装飾を昇華として見たシュペングラーと、むしろ始原として探った篠原一男とを対比しながら、多木は装飾がリアリズム以上に時代の徴候を示すとする。レヴィ=ストロース抽象絵画に認めなかった二重分節は、多木によれば、たとえ抽象的であろうと装飾にもあり、装飾の徴候的意味はモチーフやパターンよりもそれらの結合分離の操作からあらわれるという。かぎりなく人工的でありながら、それによって自然になろうとする装飾のパラドクシカルな操作は、そうして現実を隠蔽もすれば否定もしうる。