- 『ヴァールブルク著作集』全9冊、ありな書房、2003−2014年
文章を読むにあたって、その著者が何歳に書いたのかを気にかけるようになって久しい。きっかけはミルチャ・エリアーデ『ポルトガル日記』だった。途中まで読み進めて、突然、それが僕とさして歳の違わないエリアーデが書いたものだと気づき(「もうじき三十五歳になろうとしている」)、彼の言葉が僕自身のもののように響いてきた。まったく特異な経験だった。それから読書のありようが変わってしまった。
アビ・ヴァールブルクの言葉についても、その年齢を気にかけて理解してみよう。40歳のときの「デューラーとイタリア的古代」でルネサンス美術の情念定型に関する研究が一つの達成を見て、そこから次第に調査領域を占星術図像へと拡張していくのが看て取れる。ちょうどいまの僕の年頃だ。
日本語版著作集所収のヴァールブルクの論考を、年齢順(年代順)に並べなおしてみると、こうなる(日本語版著作集の巻号を【 】で記す)。
- 27歳 1893年
サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》【1】
マッテオ・デ・ストロッツィ【2】 - 29歳 1895年
一五八九年の幕間劇のための舞台衣裳【4】 - 31歳 1897年
アメリカのチャップ・ブック【別2】 - 32歳 1898年
サンドロ・ボッティチェッリ【1】 - 33歳 1899年
フィレンツェの金工師の図解年代記【2】
新たに発見されたアンドレア・デル・カスターニョのフレスコ【別2】 - 34歳 1900年
フィレンツェのニンフ【別2】 - 35歳 1901年
一四八〇年頃のロレンツォ・デ・メディチのサークルにおけるフランドル美術とフィレンツェ美術【3】
フィレンツェの現実と古代風の理想主義【別2】 - 36歳 1902年
肖像芸術とフィレンツェの市民階級【2】
フランドル美術とフィレンツェの初期ルネサンス【3】 - 37歳 1903年
ウフィツィ美術館のロヒールの《キリスト埋葬》【3】
美術史学の諸傾向【別2】 - 38歳 1904年
一枚のフィレンツェの絵画のために【3】 - 39歳 1905年
フィレンツェの最初期の銅版画における〈愛のインプレーザ〉について【2】
一五世紀における北と南の芸術文化の交流【3】 - 40歳 1906年
デューラーとイタリア的古代【5】 - 41歳 1907年
フランチェスコ・サッセッティの終意処分【2】
ブルゴーニュのタピスリーに見られる働く農民【3】
フォルクスハイムでの画像展示会【別2】 - 42歳 1908年
パラッツォ・メディチの着工【2】
南と北における古代の神々の世界と初期ルネサンス【5】
一五一九年の低地ドイツの暦における惑星神の図像について【5】 - 43歳 1909年
ランツフートにおける教会の美術と宮廷の美術【5】
自治体の責務と公共的精神政治学【別2】 - 44歳 1910年
ハンブルク市庁舎大広間の壁画【別2】 - 45歳 1911年
フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂旧聖具室における天文学的な天空描写【2】
いわゆる「ハウスブーフの画家」の素描に見られる、国王マクシミリアンのブリュッヘ捕囚における二つの場面【4】 - 46歳 1912年
ヨーハン・アントン・ランブーの水彩模写に見られる、ピエロ・デッラ・フランチェスカの《コンスタンティヌス帝の勝利》【4】
フェッラーラのスキファノイア宮におけるイタリア美術と国際的占星術[1912/22]【5】 - 47歳 1913年
中世の表象世界における飛行船と潜水艇【4】
東から西へと遍歴する「異邦の天球」の恒星天界図【別2】
惑星像の南から北への遍歴とそのイタリアへの帰還【別2】
紋章学の専門蔵書【別2】 - 48歳 1914年
初期ルネサンス絵画における古代的な理想様式の出現【3】 - 52歳 1918年
ローベルト・ミュンツェル追悼【別2】
課題は中間にある【別2】 - 54歳 1920年
ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言【6】 - 57歳 1923年
蛇儀礼【7】 - 58歳 1924年
ウルリヒ・フォン・ヴィラモヴィッツ=メッレンドルフ宛書簡【別2】
カール・ラインハルトによるオウィディウスの『変身物語』【別2】 - 59歳 1925年
怪物から天球へ 【別2】 - 60歳 1926年
東方化する占星術【6】
レンブラントの時代におけるイタリア的古代【別2】 - 61歳 1927年
ウフィツィ美術館所蔵のフランドルのタピスリーに見られる、ヴァロワ朝の宮廷でのメディチ家の祝宴【4】
ブルクハルト演習最終日【別2】
フィレンツェ美術史研究所開所記念の挨拶【別2】
武器庫から実験室へ【別2】 - 62歳 1928年
ルネサンスの祝祭からのイメージ【別2】
なぜハンブルクは哲学者カッシーラーを失ってはならないのか【別2】 - 63歳 1929年
一五世紀のフィレンツェへの文化史的寄与【4】
『ムネモシュネ・アトラス』序論【別1】
マネの《草上の昼食》【別2】
ギルランダイオ工房におけるローマ的古代【別2】
ヴァールブルク文化科学図書館理事会のまえに【別2】