ブログを付け始めて、今日で二十年になる。ウェブサイトは去年が二十周年だった。ウェブサイトの二十年の経験についてはすでにnoteのほうに書いた。根本のところはブログでも変わらない。ただブログにはもっぱら書物について記してきたというだけのことだ。読んだ書物のすべてを記録しているわけではないし、途中ではてなダイアリーからはてなブログへの移行があって記事を整理したから、この二十年のあいだには空白も多い。それでもこの機に読みなおしてみると、いくつもの写真が連なって映画になるように、さまざまな読書が思考になっていくのを感じる。逆に言ってもいいかもしれない。どの写真も映画でありえたように、どの読書も思考であったはずのものだと感じられるのだ。アビ・ヴァールブルクの美術史学の方法について、ジョルジョ・アガンベンがそうした映画の比喩で語っていた。
東京に移ってこのかた、途切れ途切れにではあれ、書物を並べなおし続けている。終わりのない作業だと分かってはいる。もう読んだもの、まだ読んでいないもの、また読みたいもの、かつて読みたかったもの、いまや読まないだろうもの——読書家でも愛書家でもないから、たいした数はない。けれども、それゆえに、ただ偶然に出会っただけの書物の並びに秩序があるはずもない。秩序がなければどう並べるのか。ただ連ねていくほかない。このブログのように連ねていけば、それで十分に思考になっていく。
読書そのものにも終わりはない。読み返せば読み返すだけ発見のある書物というものがある。イタロ・カルヴィーノの言うところの古典だ。読んでも理解できなかったからこそ意義のある書物というものもある。幼いエウヘニオ・ドールスにとってジュール・ミシュレの書物がそうであったようにである。二十年ほどまえの若い僕にとっては、クロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』やユベール・ダミッシュの『パリスの審判』、ハンス・ブルーメンベルクの『難破船』がそうした半分も理解できない書物だった。もっとも、読み返すたびに理解が新しくなるのなら、完全に理解できる書物などあるだろうか。このブログに付けてきたのも読書の経験であって、書物の理解ではない。だから最初から、ドールスの言葉をブログに掲げてきた。
そのとき、その書物を理解できたのかなどと訊かないでほしい。私は理解する以上のことをしたのだ。というのも、十歳のときにすべて理解できたことは十四歳にもなれば忘れてしまうが、十歳のときに半分しか理解できなかったことはそののち長きにわたってなんらかの痕跡を残すのだから。
二十年の読書のそこここに、理解できなかったことの痕跡が残っているのを感じる。それがまた書物を読もうという気にさせてくれるのだ。どの書物をいま読みたいだろうか。思いつくままにいくつか挙げてみよう。
- モンテーニュ『エセー』
いったん面白さが分かり始めると、読むのがやめられなくなる書物というものがある。
- エルンスト・ユンガー『エウメスヴィル』
ユンガーは『砂時計の書』を愛読し、『パリ日記』にも感銘を受けた。小説は『大理石の断崖の上で』をざっと読んだきりで、『ヘリオーポリス』『エウメスヴィル』とあわせて、もっとゆっくり読みたいと思ったままでいる。『エウメスヴィル』から読もうか。
- 田崎英明『間隙を思考する』
『無能な者たちの共同体』のあと、田崎英明さんのさらなる著作が出るのを長らく期待していた。思考がどう展開していくのかまったく予想できない、比類のない文体だと思う。
- ハンス・ブルーメンベルク『神話の変奏』
気づけばブルーメンベルクが『メタファー学のパラダイム』を上梓した年齢を過ぎてしまった。『神話の変奏』まではまだある、と思っているとこれも越してしまいそうで、今のうちにじっくりと読み込んでおきたい。
- 互盛央『連合の系譜』
プネウマ/スピリトゥスの理論は西洋ルネサンスの自然観を理解するうえでは外せないが、それが音楽論とも結びつけられていて、それだけにいっそう興味を覚える。
- ルイス・ホルヘ・ボルヘス『アトラス』
まとめてボルヘスだけを読み続ける時間をもちたいと、二十年のあいだ幾度思ったか知れないが、そんな気にさせるのはボルヘスかカルヴィーノくらいかもしれない。ひとまず『アトラス』から。
- イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』
- 四方田犬彦『ひと皿の記憶』
四方田犬彦さんの書物ではこれがいちばんかもしれない。何度再読してもこれほど幸福を感じられる書物はほかにない。
- ユベール・ダミッシュ『ピエロ・デッラ・フランチェスカによる幼年期の想い出』
もし遺稿の『オルヴィエート・マシーン』が出版されたら、それも読みたい。その二冊を、ダミッシュにとっての生と死の強迫観念——あるいはアンフォルムとアナクロニズムの根源——が描き出されたものとして読むことはできないだろうか。
- スタンダール『ローマ散歩』
ローマに暮らしていたときに読むはずだったのに、あれからもう何年経ってしまったことか。