The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

2010-01-01から1年間の記事一覧

カルヴィーノ

イタロ・カルヴィーノ『文学講義』(原著1988) 第四講「視覚性」で展開されている想像力論、ダンテ『神曲』(La divina commedia)からはじまってバルザック『人間喜劇』(La comédie humaine)におわるという構成の妙もさることながら、概念的思考に対する…

五十嵐一

五十嵐一『イスラーム・ルネサンス』(1986) 第六章「“秤”の学――イスラーム的知の相貌」の話、よくある「世界の調和」の話と言ってしまえばそれまでかもしれないが、エウクレイデス(ユークリッド)がイスラームに導入されたときにその幾何学より比例論が重…

五十嵐一

五十嵐一『イスラーム・ルネサンス』(1986) イスラーム美学を論じた「コーランにおける創造観――自己作品化の美学」の章が気になって繙いてみたこの書物、それより次の章「変心の神秘――イスラーム的構造変動論」を面白く読む。「変身」が、変化していると見…

グリーンブラット

スティーヴン・グリーンブラット『ルネサンスの自己成型』(原著1980) ブルクハルト的な「ルネサンスにおける人間の発見」のテーゼを発展的に継承するとこうなるのかといった感のグリーンブラットの「ルネサンスの自己成型」のテーゼ。「ルネサンスになると…

アンサルディ

Saverio Ansaldi, Giordano Bruno. Une philosphie de la métamorphose. (2010) サヴェリオ・アンサルディ、2006年の『自然と力能――ブルーノとスピノザ』は、ブルーノ論としてはちょっと入門書的というか概説的で物足りなかったものの、今年刊行のこちら『ジ…

クブラー

George Kubler, The Shape of Time. (1962) あらためて読み直してみるとジョージ・クブラー、「様式論か図像学か」で二極化していた五〇〜六〇年代のアメリカの美術史業界情勢をまえにしてこの本を書いたのだろうなという印象が強かったり。これが七〇年代に…

ガレン、パンシャール

Eugenio Garin, Medioevo e Rinascimento. (1954) Bruno Pinchard, La Raison dédoublée.(1992) どのインタビューだったか、たしかミシェル・フーコーは「ヒューマニズムはルネサンスではなくて一九世紀の発明だ」という主旨のことを強調していたことがあ…

ドゥルーズ、トゥルニエ

ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』(原著1969) ミシェル・トゥルニエ『イデーの鏡』(原著1994) かの「プラトン主義の転倒」が現代芸術に適用されるくだり、収束しえない物語の複数性をジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』に見いだしながら、…

スピノザ、ワイエルス、エスポジト

Baruch (Benedictus) de Spinoza, Etica. (1677) Olga Weijers, "Contribution à l'histoire des termes 'natura naturans' et 'natura naturata' jusqu'à Spinoza. (1978) Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italia…

エスポジト

Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) ロベルト・エスポジト、イタリア哲学の起源に遡る第二章でマキアヴェッリ、ブルーノ、ヴィーコを取り上げているが、ブルーノの話では「ペルソナ概念の批判」と「…

ジョイス、エスポジト

James Joyce, "L'influenza letteraria universale del rinascimento." (1912) Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) ジェイムズ・ジョイスがイタリア語で著した論考「ルネサンスの世界文学的影響」は…

清水純一、エスポジト

清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃』(1972) Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) ブルーノの生涯をざっとおさらいということで、久々に読み直した清水純一の新書。最終章でブルーノの哲学を、言っ…

エスポジト

Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) 基本的に政治哲学か政治思想史の著作ばかりの印象があるロベルト・エスポジトだったが、ルネサンス以来のイタリア哲学史を辿りなおすことでイタリア現代思想を位…

ジョイス=ブルーノ(フェルカー、ラバテ)

Joseph Voelker, "Nature it is: The Influence of Giordano Bruno on James Joyce's Molly Bloom." (1976) Jean-Michel Rabaté, "Bruno No, Bruno Si: Note on a Contradiction in Joyce" (1989) ドイツの新カント主義的哲学史が教科書レヴェルで普及したせ…

ブルーノ(ガッティ)

Hilary Gatti, "The Natural Philosophy of Giordano Bruno" (2002) ヒラリー・ガッティの主著『ジョルダーノ・ブルーノとルネサンス科学』(1999)はタイトルからしてフランセス・イエイツへの対決姿勢を打ち出しているが、この論文でもなかなかのイエイツ…

 エラノスで

「エラノス叢書」(井筒俊彦監修、平凡社、1990-1995年) 〈エラノス会議〉に〈観念史クラブ〉――「エラノス叢書」と『観念史事典』(西洋思想大事典)。思想の歴史には関心を寄せる身ながらも、どうにも自分とは縁遠いものに感じられてしまう理由を、長らく…

井筒俊彦

井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』(1980) 同『意識と本質』(1983) 〈一〉と〈多〉という伝統的な問題をそのまま「分節されていないもの」と「分節されたもの」とに置き換えて理解することはひとつの常套と化しているような気もするものの、このときえて…

バガヴァット・ギーター(赤松明彦)、マルクス・アウレリウス(荻野弘之)

赤松明彦『バガヴァット・ギーター』(2008) 荻野弘之『自省録』(2009) 思想史研究ではもはやひところのような「比較」という方法は使えないと感じるものの、インド=ヨーロッパ祖語の研究はじめ、『バガヴァット・ギーター』受容史の研究などでも、比較…

松枝到

松枝到『外のアジアへ、複数のアジアへ』(1988) 同『アジアとはなにか』(2005) 同『アジア文化のラビリンス』(2007) いまさら言う人も少なくなってきてはいるが、ともあれ「西洋と東洋」と言ったところでそれは地理的にはユーラシアの西側と東側の話に…

老子(神塚淑子)、アウグスティヌス(松崎一平)、塩川徹也

神塚淑子『老子』(2009) 松崎一平『告白』(2009) 塩川徹也『発見術としての学問――モンテーニュ、デカルト、パスカル』(2010) デカルトが20歳のときの学位論文の献辞なるものが、塩川徹也『発見術としての学問』で仏訳から重訳されていたので、なにげな…

 『象徴図像研究』の

『象徴図像研究――動物と象徴』(和光大学総合文化研究所、松枝到編、言叢社、2006年) 『象徴図像研究』第1〜11号、和光大学象徴図像研究会、1987〜1997年 イメージの問題を考えるうえで、いまや「人類学」と「生態学」の視点の重要性を説き謳う声は喧しいも…

朱子(木下鉄矢)

木下鉄矢『朱熹哲学の視軸――続朱熹再読』(2009) とりわけ第六章の「「事」「物」「事物」「事事物物」」がタイトルからして迫力満点だが、この書物全体を通して朱熹における「事・こと」と「物・もの」の理解が徹底的に問いなおされていると言えるか。山田…

朱子(木下鉄矢)、荘子(中島隆博)

木下鉄矢『朱子』(2009) 中島隆博『荘子』(2009) この二冊の書物を読むかぎり、意識を取り払えば万物の無差別があらわになるという仏教的な発想とむしろ相反するような、いわば個体性と差異を掬いあげる戦略を、荘子にも朱子にも見いだせるよう。 それに…

スフラワルディー(鈴木規夫)、アヤダ

鈴木規夫『光の政治哲学』(2008) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) イスラーム美学を理解しようとするなら(つまりイスラーム文化の生み出した芸術をきっぱりと思想から切り離してしまうので…

ジュリアン

フランソワ・ジュリアン『勢』(原著1992) 「比較」という方法の第一の陥没はニュアンスの掻き消された(あるいは歴史のない)のっぺりした理解を生み出してしまうことだが(これは比較項が固定されてしまうとすぐさま生じる)、総体としての「西洋」なるも…

李沢厚、河野道房、アヤダ

李沢厚『中国の伝統美学』(原著1989) 河野道房「前近代中国絵画関係文献の形式と内容」(上+中+下)(1999-2001) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) 中国の芸術論は早くから「表象」ではな…

宇佐美文理、アヤダ

宇佐美文理「神思と想像力」(1996) 同「六朝芸術論における気の問題」(1997) 同「中国芸術理論史序説」(2005) 同「〈形〉についての小考」(2007) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) ヨー…

李沢厚、杉田英明

李沢厚『中国の伝統美学』(原著1989) 杉田英明『事物の声、絵画の詩』(1993) 李沢厚の書物によれば、「公では儒家、私では道家」というのが大ざっぱな中国の思想の棲み分けだと良く言われるにしても、それは「倫理では儒家、美学では道家」というわけで…

謝赫、福永光司、クルアーン(小杉泰)

謝赫『古画品録』(6世紀前後) 福永光司『中国の哲学・宗教・芸術』(1988) 小杉泰『クルアーン』(2009) モーセ、イエス、ムハンマド、それぞれがおこなったとされる「奇跡」の違いが面白い。モーセでは呪術師との対決が、イエスでは医師との対決が背景…

クルアーン(小杉泰)、張彦遠(宇佐美文理)

小杉泰『クルアーン』(2009) 宇佐美文理『歴代名画記』(2010) 絵画に描かれているとおりに画家はものを見ている、と考えてしまう粗雑な心理学者や現象学者は論外としても、ともすれば認識プロセスと制作プロセスは一直線に結びつけられてしまう。張彦遠…