The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』(矢橋透訳、みすず書房、2008年)

ルーダンの憑依


ミシェル・ド・セルトー(Michel de Certeau, 1925-1986)が、一七世紀にフランスはルーダンの修道院で起こった集団悪魔憑き事件について著した書物(原著1970年)。

ジャンヌ・デ・ザンジュをはじめとするルーダンの修道女たちが、ある日から突発的に奇怪な行動を取りはじめる。はたして悪魔憑きなのか、それとも病気なのか、あるいは芝居なのか。悪魔祓いの神父たちと医師たちが診断を試みるなか、やがてルーダンの司祭ユルバン・グランディエが悪魔を召還した「魔法使い」として名指されていく。国王から派遣されたローバルドモンは裁判を開始し、無実を訴えつづけるグランディエは火刑台へ。そして神父ジャン=ジャック・シュランの自己犠牲的な活躍により、悪魔は追い祓われる……。

些細な偶発事が、それまで鬱屈していた諸々の出来事――よそから来た新参者への小さな不満、修道女と司祭の力関係、カトリックプロテスタントユグノー)とのかつての諍い、王権の拡大と教権の衰退、中央と地方との格差――を急速に組織化しはじめる。偶然が偶然を呼んでゆき、そこからいたりつく結果はもはや必然的で避けがたいものとしか見えない。そのさまを描き出すセルトーの筆は鋭く、当時の史料からの引用に語らせる手腕も抜きんでているように思う。と同時に、事件が進展するプロセスは、フロイトによって記述されたヒステリの発生するプロセスを思い起こさせる。この書物のなかで明示的に言及されることはないにせよ、セルトーが精神分析に関心を寄せたのは、そのためなのだろう(そして逆に、フロイトが一七世紀の悪魔憑きに関心を向けたのも、そのためなのかもしれない)。

聖人と魔女がおびただしくあらわれた一七世紀。この時期におびただしく発行され流通した(ときに匿名の)パンフレットの担った役割がさりげなく示唆されているのが、個人的には印象に残る。張り紙や小冊子の流通によって、事件は当事者たちの思惑を超えて、だれにも予測のつかない方向へと進展していく。まるでこれらのパンフレットこそが真の当事者のようですらある(とはいえ実際には、これらのパンフレット「も」当事者だ、というくらいが順当なところだろう)。

しかし、セルトーは触れていないが、「悪魔祓いを成し遂げた」神父シュランがイエズス会士だったことが少しひっかかっている。セルトー自身が生涯を通してイエズス会士だったことは措くにしても、対抗宗教改革以降カトリックにおける列聖の推進と異端審問の中枢を担ったイエズス会、そしてなによりもイメージと想像力の修練・実践を重視したイエズス会なのだから。