The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

吉田健一『時間』

吉田健一『時間』、講談社文芸文庫、1998年(初版1976年)


 時間がたつのを感じることは、たんに時計が動くのを見ることではなく、今ここにいる自分と自分のいる今ここの世界の変化を認識することそのものだという。これは生きて親しむことと別ではない。吉田健一は、いわば時間の抽象化を斥けて、時間を徹底して具体的な事物、状況、世界に内在させるがゆえに、時間こそが世界として広がるのだと論じるのだろう。この時間としての世界はまるごとの全体であって、物質に限定されはしないし、精神と言葉の及ぶかぎり広がるから事実か虚構かという区別もなく、現在も過去も包括して、ただそこにあって脈打っている。

   *

 過去に触れるという歴史経験は、吉田健一にあっては時間を呼吸して生きるときの常態なのだろう。言葉が理解されるとき、その言葉とともに時間が脈打ち、その言葉の語ることがまさに現在である。言葉は内容のみならず状況をも伝え、そうして世界が拡がる。それは言葉が石像でも変わらない。歴史家が歴史を書けるのはそうした言葉の働きがあってのことで、歴史のほうが歴史学よりも先にある。歴史学の示す事実は、それだけであればそれだけのことにすぎず、結局は文献の二番煎じでしかなく、歴史にならない。世界である歴史は、詩や神話と同様に、そこに確かにあって、時間を刻んでいる。

   *

 吉田健一によれば、近代が二度の世界大戦を経て解体し、人間と時間の観念が回復してきたという。完璧を求めた近代は、人間よりも仕事、時間の流動よりも時間からの独立を重んじて、しかしそれでも人間と時間はありつづけたので倦怠に陥った。倦怠を脱け出ようと時間を求めたプルーストも、たしかに吉田健一と同様に時間を現在と過去とに分割しえない自分がまさにそこにいると認めさせるものと見てはいても、近代的完璧さにとらわれて時間から流動を否定した。だが時間は刻々に流動し、時間とともにあることで人間は人間に、月は月に、海は海になる。その歴史を有して、たんなる一種の動物や天体や水溜まりではなくなる。

   *

 それがそこにたしかにあるという現実は、時間の認識と不可分のもので、馴れ親しんできた年月がものをいう。住んでいる家がその典型であるし、だから自分に親しむことが生きることだとさえ言える。文学が成り立つのも、吉田健一にしたがうなら、これにもとづいてのことだ。時間がただそこにたしかにある世界であるがゆえに、何をするにも時間が必要で、時間は何にでも役立てられる。ただそこにあるものがそのときどきで目的にもなれば目的のあるものにもなるが、その目的が達せられたなら目的は消えて、またただそれがそこにある。時間とはそうした世界なのだ。

   *

 吉田健一にとって時間と生とはほとんど同一のものだ。歴史学による事実の羅列がいくら正確であろうとどこまでいってもそれだけのことであるのに、あるとき誰かがこう述べたという言葉を知ると急に生き生きとしてくるのは、その言葉を中心にして時間がたちはじめるからだという。ヨーロッパ中世の彩色写本やヴィヨンの詩の魅力は、そうしたところにある。一般論のようなものは抽象的で他人事にとどまらざるをえないが、それを具体的に生かすのが時間であり、時間がたつところに生がある。だから時間とは親しく感じられるものであって、生にして生きる喜びなのである。

   *

 吉田健一は認識の具体性、具体的な認識を、物質よりも時間に関連づける。海を具体的に摑むとは、ただの水溜まりを見ることではなく、海と時間を過ごして親しむことだ。時間から抽象された事実はただそれだけのものでしかないが、しかし時間において具体的に摑まれた現実はわれわれに語りかけてくる。そのようにして愛も死も具体的に摑むことができる。精神はそれだけ広がり、自由になっていく。時間のなかでたえず働いている精神が時間において具体的に摑んだものは、精神全体に響いて、精神を変容させ成熟させるのだ。具体的な確かさはそうした動きのなかにしかない。

   *

 もし時間がないとしたら、物質からして存在せず、生命も精神もないことになるだろう。つまり端的な無であり、東洋的な潜勢力としての無ではなく、西洋的な虚無である。吉田健一によれば、この無への恐怖が、西洋の恋愛詩における女性の美と死との対照の背景にあり、ゴシック聖堂などもこの無に対抗してのものという。だが西洋では、大鎌をもった老人姿の時間の寓意像に示されているごとく、かえって時間こそがこの無へと導くものとされ、無にいたる過去と永遠の現在とが強く対比された。過去と現在とを統合した時間の回復は、ボードレールを俟たねばならない。

   *

 時間と空間とを区別できるとはいえ、空間が空間になっていくのは時間のなかでこそだ。場所も物質も時間があってこそまさにそのものになっていく。大理石の宮殿は、ただ大理石ないし石灰岩であることに尽きるのではなく、その空間のなかの陰影と音響が人間の生を示すからこそ、そのものになる。物質的な事物は消滅していくとしても、しかし消滅よりもそれがそうであるという真理をわれわれに語りかけて、親しみを抱かせる。吉田健一のいう時間は生命の成熟であるとともに関係の網目であり、一つの味から海を思い、海からすべてが思われるように広がっていく。

   *

 意識は時間なしにはありえないのだから、意識はすべて時間の意識であり、そのようなものとして世界の意識であるという。そして言葉も時間の経過のなかで意味をもつがゆえに、詩には韻律があり、それは実は散文でも変わらない。発見の瞬間だけでは何ものでもない。発見されたものがこれまでの世界に加わって、それだけ世界が拡がり、親しみが増すことではじめて、発見は意味をもつようになる。世界は全体性のような抽象ではなくて、一つのものから次のものへと移ることのできる拡がりであり、しかもたんなる拡がりではなく、一つになっていくものなのだ。

   *

 近代性は倦怠と焦燥をもたらしたと、吉田健一は繰り返す。近代は完璧さを求めて、不純さを除外することで、かえって限定された不完全な意識を生じさせ、倦怠と焦燥をもたらした。この近代の倦怠は中世の怠惰とは違い、意識が意識的であろうとする不自然さゆえのものだ。ここから吉田健一が脱却するきっかけの一つが、ルーヴル美術館のミロの美神像であったという。これを大理石の塊と見るのではなく、日の廻りとともに多彩に色合いを変えるそのすべてと見ること――当初はロダンの言葉を確認するためだけにそこで一日過ごしたのだとしても、この経験は何十年たっても吉田健一のなかに息づいている。

   *

 忘却されたものが想起されたとき、部分ではなくつながりの全体が戻ってくる。ただ一つの日付だけでは意味をなさず、その文脈とともにでなければ何も思い出したことにはならないし、思い出したという確信ももてない。すべてはつながっている。夕日が夕日に見えるのは朝や夜に対比されてのことであり、そこには夕のみか朝も夜もある。能「卒塔婆小町」では九九歳の老婆がそのまま絶世の美女たる小野小町である。この認識は時間とともに深まる親しみそのものであり、親しみは具体的な細部から始まって拡がっていくが、これを吉田健一は一七世紀オランダの静物画の光沢表現でもって説く。

   *

 自己は意識であるにしても、意識されるすべてを包括してその人間があるのであって、それは自己意識ではない。意識を自己意識に限定してしまうと、自己を時間から分離する誤りに陥る。そうして現在ではない過去がつくりだされてしまう。だが歴史のどの時点も意識されればそこに生きることになるし、絵画も建築もそこに現にあり、進化した生物もまたそうである。すべては時間として拡がっている。神話がたんなる捏造でないのも、そこに言葉通りにあるからだ。言葉とその意味を混同してはならない。それがそこにあり、自分もそこにいる、というのは理解も解釈もできないが、解らないけれどもあるものはいくらでもあるのだから。