The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 Giorgio Agamben, Infanzia e storia, Einaudi, Torino, 1978; nuova edizione, 2001.

ジョルジョ・アガンベン(1942- )の『幼年期と歴史』から「時間と歴史」を読む。

歴史にはかならず特定の時間経験(表象ではなく)が伴っている、として、アガンベンはアンリ=シャルル・ピュエシュを参照しつつ、ギリシア=ローマにおける円環としての時間、キリスト教における有限な線分としての時間、近代における無限の直線としての時間を概観したあと、マルクスベンヤミンハイデガーらによってもたらされた新たな時間経験に言及する。もちろん、それは近代の空虚・無限・量的・連続的な時間(クロノロジー的な時間)に対して、充満・有限・質的・非連続的な時間(カイロロジー的な時間)なわけだが、ここで興味深いのは、アガンベンがそのカイロロジー的時間を、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を参照しつつ、「快楽」の経験と結びつけていることだろう。そしてこの快楽という経験はまさしく「歴史」であるという。人間にとって歴史は幸福の源泉にして場なのである。

そうしてアガンベンは、クロノロジーによるのではない、カイロロジーによる本来的な歴史というものを想い描くわけだが、ここで注意しなければならないのは、このカイロスが決してアイオーンではないということだろう。アガンベンが批判の対象としているのはクロノロジー的な歴史のみだが、ジャック・ランシエールが分析したように、現代の歴史学は実は反クロノロジー的で、むしろアイオーンを目指している。つまり、エピステーメでもパラダイムでもいいが、そうした「時代」の枠組みというものを構築することで、時間的継起がたいした意味を成さない歴史を、現代の歴史学は描き出している。それを考慮するなら、アガンベンの想い描くカイロロジー的な歴史を実現するには、クロノスとともにアイオーンを批判する必要があるだろう。