The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ミシェル・ド・セルトー『歴史のエクリチュール (叢書・ウニベルシタス)』(佐藤和生訳、法政大学出版局、1996年)

歴史のエクリチュール (叢書・ウニベルシタス)


ミシェル・ド・セルトー(1925-1986)による歴史記述についての論考。理論的考察と具体的な宗教史の記述(さらにはフロイトのテクスト)とを往還しながら考察が展開される。

セルトーの歴史記述理論の核心は、「過去について」「現在において」書くという行為である歴史記述に孕まれた二重性を、徹底的に考察したところにあると思う。言うなればセルトーは、「歴史は過去についての科学である」と「歴史はすべて現代史である」という互いに対立する観点を、それぞれ歴史記述のコンスタティヴ・レヴェルとパフォーマティヴ・レヴェルとに割り当て、その二重性を解消しえないものとして考察している。この歴史記述の〈コンスタティヴ/パフォーマティヴ〉は、内容としては、流動的で相互に反転しうるものであり、極論するなら一瞬前までパフォーマティヴであった内容をコンスタティヴに考察することすらできる。しかしそうしたところで、歴史記述の〈コンスタティヴ/パフォーマティブ〉は、形式としては、媒介も調停も融合も不可能なまま残り続ける。つまり、歴史記述の〈コンスタティヴ/パフォーマティヴ〉は、同一性としては流動的だが、統一性としては不動であると言えるだろう。

こうした二重性こそが、〈現在/過去〉を分割し、歴史を可能にする。別の言い方をするならば、歴史記述はこの二重性によって、いたるところで〈現在/過去〉の分割を反復し、みずからの対象に死と生を同時に与える。死を与えるというのはそれを過去のものにするからであり、生を与えるというのはそれを現在において語るからだ。そしてこの分割は、反復されるたびに移動〔=転位、置換〕する。歴史記述がそれ自身歴史の一部であることを考え抜くなら、この歴史記述に孕まれた二重性と流動性を避けて通ることはできないだろう。