The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 松原洋子、小泉義之編『生命の臨界―争点としての生命』(人文書院、2005年)

生命倫理や環境倫理について問いなおした、いくぶん論争的な姿勢に貫かれた書物。生命の序列化や差別化(優生学的なものから「QOL」論的なものまで)を批判し、生の複数性をいかに肯定するかについての問いが、この書物全体に通底しているように思う。自己決…

 鈴木雅雄編『シュルレアリスムの射程―言語・無意識・複数性 (serica archives)』(せりか書房、1998年)

「日常において抑圧されている無意識の欲望を解放する試み」という通俗的なシュルレアリスム理解を一新する論文集。「オートマティスム」や「客観的偶然」といった概念によって、シュルレアリスム(というかアンドレ・ブルトン?)が提起した問題は、とりわ…

 アラン・バディウ『哲学宣言』(黒田昭信、遠藤健太訳、藤原書店、2004年)

アラン・バディウ(1937- )が、おもにドイツやフランスの現代哲学を概観しつつ、みずからの哲学的企図を述べた書物。「出来事」の表象不可能性をまえに体系的に語ることを放棄し、哲学の務めをただ「批判」機能(=現状の否定)にのみ縮減してしまう現代哲…

 中山康雄『共同性の現代哲学―心から社会へ (双書エニグマ)』(頸草書房、2004年)

言語行為論や心の哲学の知見から、共同性について分析した書物。コミュニケーションや会話を、コードモデルや推論モデルではなく、一連の行為の連鎖として分析するというのは重要な視点だろう。だが、〈心/身体〉〈自/他〉〈個人/集団〉といった区別がや…

 内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』(海鳥社、2004年)

エマニュエル・レヴィナスとジャック・ラカンとを類比させつつ読んでいく書物。死者の名のもとに倫理や正義を根拠づけようとする思考が孕む欺瞞を鋭く指摘しているように思う。正義や倫理について語ろうとするとき、死者(あるいは弱者、プロレタリアートで…

 宇野重規『政治哲学へ―現代フランスとの対話 (公共哲学叢書)』(東京大学出版会、2004年)

近年、これまでになく活況を見せている現代フランスの政治哲学を、ときに英語圏の政治哲学と対比しつつ概観した書物。現代フランスの政治哲学は、ひとつには、デモクラシーのパラドクスをめぐって展開されていると捉えることができるようだ。みずからの外部…

 カルロ・ギンズブルグ『ピノッキオの眼―距離についての九つの省察』(竹山博英訳、せりか書房、2001年)

カルロ・ギンズブルグ(1939- )による1998年に刊行された論文集。ギンズブルグはこの本で、「イメージ」「表象」「異化」「虚構」「スタイル」「パースペクティヴ」といった概念を、語源やあるいは古代の用法に遡って考察している。語源学的な分析は、ハン…

 ミシェル・ド・セルトー『歴史のエクリチュール (叢書・ウニベルシタス)』(佐藤和生訳、法政大学出版局、1996年)

ミシェル・ド・セルトー(1925-1986)による歴史記述についての論考。理論的考察と具体的な宗教史の記述(さらにはフロイトのテクスト)とを往還しながら考察が展開される。セルトーの歴史記述理論の核心は、「過去について」「現在において」書くという行為…

 アーサー・ダントー『物語としての歴史―歴史の分析哲学』(河本英夫訳、国文社、1989年)

歴史の言説を「物語り」概念によって分析したアーサー・ダントー(1924- )の最初の著作(1965年)。ダントーがこの本で試みているのは、「歴史の仕事は過去をありのままに追体験すること」という歴史主義への徹底した反駁と言えるが、それを歴史言説の論理…

 Giorgio Agamben, Infanzia e storia, Einaudi, Torino, 1978; nuova edizione, 2001.

ジョルジョ・アガンベン(1942- )の『幼年期と歴史』から「時間と歴史」を読む。歴史にはかならず特定の時間経験(表象ではなく)が伴っている、として、アガンベンはアンリ=シャルル・ピュエシュを参照しつつ、ギリシア=ローマにおける円環としての時間…

 Giorgio Agamben, Image et mémoire, Desclée de brouwer, Paris, 2004.

ジョルジョ・アガンベン(1942- )の1975年の論文「アビ・ヴァールブルクと名前のない科学」(1983年に補遺が書かれた)を読む。イタリア語のは入手できていないので、さしあたり『イメージと記憶』に所収のフランス語訳で。アガンベンはヴァールブルクの方…