The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰―コレクションの宇宙 (叢書・ウニベルシタス)』(藤代幸一、津山拓也訳、法政大学出版局、1996年)

古代憧憬と機械信仰―コレクションの宇宙 (叢書・ウニベルシタス)


ホルスト・ブレーデカンプ(Horst Bredekamp, 1947- )による、「クンストカンマー」の歴史をたどった書物。

ブレーデカンプによれば、クンストカンマー、ストゥディオーロ、キャビネなどに蒐集された品々は、「自然物−古代彫刻−人工物−機械」という系列のもとにあるという。この系列のもとにあるコレクションにおいては、〈自然/人工〉という対立軸が「歴史」によって媒介される。というのも、歴史を、過去を、起源を知ることにおいては〈自然/人工〉の対立は消滅するからだ。そしてそこから、人間の介入によって自然の真の姿を明らかにするという、ベーコン流の「実験」も可能になる(人間の介入によってこそ自然が明らかになるのだとすれば、自然と人間とのあいだには連続性があるだろう)、とブレーデカンプは指摘する。

この論考はひじょうに短く、そのため〈自然/人工〉についての理論的な考察と実際のコレクションの分析とがやや乖離しているようにも感じるが、16−18世紀の芸術・文化・科学の一側面を明晰に浮かび上がらせているように思う。自然物も人工物も分け隔てなく包摂するこの時代のコレクションがもたらしたのが、「歴史なき分類一覧表」といったようなものではなく、むしろ「物質の歴史性」だった、という指摘は重要だろう(そしてこの指摘から、ブレーデカンプはフーコーを批判することになる)。

とはいえ、ブレーデカンプの分析にかすかであれ違和感を感じざるをえないのは、そもそもの〈自然/人工〉という対立軸が登場したのはいつなのか、まさしくこの時代ではなかったのか、という疑問に答えてくれないからだろう。自然と人間をともに歴史化することでそれらを媒介するという(ベンヤミンアドルノにも見られるような)戦略をクンストカンマーのうちに見いだすのは良いとしても、そもそもの「同一のサイクルを反復する必然性に支配された自然」vs「偶然に支配された歴史的存在たる人間」というような対立軸は、クンストカンマーによって媒介される以前に、媒介されるべきものとして存在していたのだろうか。