The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ―アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏、水野千依訳、人文書院、2005年)

残存するイメージ―アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間


ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(1953- )が、アビ・ヴァールブルクの美術史の方法論を、「残存」に集約される特異な時間性の観点から、同時代や先行/後続の美術史、哲学、人類学、精神分析学と照応/対比しつつ論じた書物。

ディディ=ユベルマン自身の理論的な立場は、すでに『時間をまえにして』のなかではっきりと示されている。その二年後に刊行されたこの『残存するイメージ』は、理論的には『時間をまえにして』からそれほど大きな進展はないように思えるが、ディディ=ユベルマン独自の視点から書かれた「19世紀末〜20世紀初頭のドイツ/オーストリアの思想史」として興味深く読むことができる。とはいえ、『時間をまえにして』のなかで中心的に考察されたベンヤミンアインシュタインはこの書物のなかではそのぶん影を潜め、ヴァールブルク、ブルクハルト、ニーチェ、ビンスワンガー、フロイトなどが中心となっているのだが。

全体を貫く構造としては、ヴィンケルマン流の「死者の歴史」(すでに失われ跡形もなく死んでしまった過去に対する喪の仕事としての歴史)に対して、ヴァールブルク流の「幽霊の歴史」(アナクロニックな残存を扱う終わりなき分析としての歴史)を提起する、といったところだろうか。あらためて日本語訳で通読してみて、ディディ=ユベルマンはやはり広い意味でのロマン主義美学を基軸に据えているということ、両極性や弁証法がときにほとんどデウス・エクス・マキーナになってしまうこと、「心的なもの」の位置づけがいささか危ういこと、などが個人的には(否定的な意味で)少しばかり気になったが、とはいえ、「感情移入」を新たに読みかえようとするところなどは面白いように思う。アニミスムとアナクロニスムが、なぜか切り結ぶ地点。