The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ジョルジョ・アガンベン『幼児期と歴史―経験の破壊と歴史の起源』(上村忠男訳、岩波書店、2007年)

幼児期と歴史―経験の破壊と歴史の起源


ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben, 1942- )が「歴史」について考察した諸論考を集めた書物(原著は1978年、2001年に増補)。

日本語訳されたのであらためて読みなおしたが、かつて中心的に読んだ「時間と歴史」の章よりも「おもちゃの国」の章のほうを面白く感じる。歴史を通時態と同一視することを批判しながら、むしろ通時態と共時態との還元不能な折衝に歴史(人間の時間)を見いだし、この折衝点として遊戯と儀礼、そして葬送儀礼通過儀礼、さらにそこでもちいられる道具や遊具を位置づけていく。儀礼からも遊戯からも解放されたかに見える現代社会にもこの折衝の構造を見いだし、批判的な示唆をおこなう手法は、言うまでもなくヴァルター・ベンヤミンを意図的になぞっているように思うが、それよりもむしろアガンベンがなぜアビ・ヴァールブルクを(エミール・バンヴェニストとともに)あれほど意識しているのかの理由の一端をうかがえて、興味深い。

とはいえ、こうした手法は、えてして現代の神話的起源を指摘しさえすればその現代への批判が正当化されるかのごとく議論を進めてしまいがちになる。けれども真に重要なのは、たんに残存しているという事実よりも、その残存がいかなる仕方でなされているのかを知ることだろう。「近代=世俗化」論に対するハンス・ブルーメンベルクの疑念も、その理由のひとつはここにあるのではないだろうか。

また「幼年期と歴史」の章(とくにその前半)で語られる経験と認識(科学)の差異という視点も面白く感じる。とはいえ、その差異から帰結するのが「有限性(みずからの死)の経験」と「無限に向かう科学認識」という対比(そして有限性と死の自覚への回帰)なのであれば、個人的にはこの差異が維持しえないことの帰結――アガンベン哲学史的に描きだしたのとは異なる帰結――に眼を向けたいと思う。