The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 アラン・コルバン『風景と人間』(小倉孝誠訳、藤原書店、2002年)

風景と人間


アラン・コルバン(1936- )がおもに18世紀以降のフランスの「風景」の歴史について、インタヴューに答えるかたちで語った書物。

物理的な環境が、ある特定の捉えられ方をすることで「風景」となる。そこには、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚、触覚、さらにはそれらが渾然一体となった体感が作用し、それらは一方で空間の移動の仕方(徒歩、自転車、汽車…)や気候などに影響され、他方で美学、倫理、宗教、科学、経済、政治等々の規範や知識の影響を受ける、という。たとえば18世紀における海の風景は、ひとつには崇高の美学の影響を強く受け、また同時に、医療としての海水浴の隆盛(18世紀の海水浴は、余暇の楽しみではなく、医学的な治療だったという)によって影響されている。他にも、空気のよどみこそが病気の原因とされていた18世紀において、活動性や風通しの良さが高く評価され、静止と不動が避けられた、という点も18世紀の風景に大きな影響を及ぼしたようだ。

「美しい」風景を「まるで絵に描いたような」と表現することのうちには、すでに絵画というフィルターを通して風景を見ていることが示唆されている。これはもちろん、18世紀末にイギリスに端を発する「ピクチャレスク」の美学にその起源を見いだせるだろうが、コルバンがそのピクチャレスクの美学を写真に近づけているのは面白い。ちょっとした示唆に留まってはいるが、「一過性」や「瞬間性」というのは写真のみの特質ではなく、「ピクチャレスク」な絵画や風景にも認められるという。初期の写真は露光に長時間を要したのだから、この「瞬間性」なるものは、たんなるイメージ形成の時間の長さの問題ではない。その意味で、「瞬間性」なる質については、あらためて考えてみる余地があるだろう。