The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ジャック・ル=ゴフ『歴史と記憶』(立川孝一訳、法政大学出版局、1999年)

歴史と記憶 (叢書・ウニベルシタス)


ジャック・ル=ゴフ(1924- )による歴史の歴史、および歴史科学の方法論についての考察。

ル=ゴフは、「歴史とは過去の再構築である」という視点から実証主義と歴史主義を批判するアナール派の歴史家だけあって、歴史における〈現在/過去〉の錯綜したかかわりについて鋭い考察を展開している。もともとはイタリアの百科事典のために書かれたからか、広範にわたる内容がコンパクトに収められているが、なかでもとくに重要なのは、〈過去/現在〉の区別は所与のものではなく、歴史家はその境界を引くことから始めなければならない、という指摘だろう。歴史における〈現在/過去〉は、知覚や心理の観点で区別できるものではないのだから、その境界は実は構築されなければならない。その意味で、〈現在/過去〉は「時代」と同じものだと言えるように思う。

それを踏まえるなら、アナクロニズムとは、現在を過去に持ち込むことでもなければ、過去を現在に取り込んでしまうことでもなく、過去と現在との境界を引き間違えること、あるいはそもそも境界を引かないことだろう。そしてその境界(現在と過去との差異)は複数であり、かつ流動的である。アナクロニズムは所与の事実についての問題ではなく、アナクロニズムの範囲はつねに変化する。

ル=ゴフはそうした事態を前にして、慎重に〈現在/過去〉の差異を見極め、その境界を引くことを歴史家の務めとしている(=アナクロニズムの禁止)。ジョルジュ・ディディ=ユベルマンがル=ゴフに疑問を投げかけるとすれば、それはこの点だろう。その引いた境界の正しさはどこにあるのか。境界は恣意的に引かれたに過ぎないのに、それを誤りのない真実だと偽ってはいないか。そもそも〈現在/過去〉の確定した境界を引くこと(ある意味でメタレヴェルに立つこと)は可能なのか。

とはいえ、ディディ=ユベルマンが目指すのは、こうした境界を廃棄し〈現在/過去〉の差異を抹消することではない。むしろその差異を複数にすること、その差異の複数性を考慮することであるだろう。ル=ゴフの慎重さに抗して、多重に境界を引き、引きなおし、引き続けることをディディ=ユベルマンは狙っている。