The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

スピノザ、ワイエルス、エスポジト

Baruch (Benedictus) de Spinoza, Etica. (1677) Olga Weijers, "Contribution à l'histoire des termes 'natura naturans' et 'natura naturata' jusqu'à Spinoza. (1978) Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italia…

エスポジト

Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) ロベルト・エスポジト、イタリア哲学の起源に遡る第二章でマキアヴェッリ、ブルーノ、ヴィーコを取り上げているが、ブルーノの話では「ペルソナ概念の批判」と「…

ジョイス、エスポジト

James Joyce, "L'influenza letteraria universale del rinascimento." (1912) Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) ジェイムズ・ジョイスがイタリア語で著した論考「ルネサンスの世界文学的影響」は…

清水純一、エスポジト

清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃』(1972) Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) ブルーノの生涯をざっとおさらいということで、久々に読み直した清水純一の新書。最終章でブルーノの哲学を、言っ…

エスポジト

Roberto Esposito, Pensiero vivente. Origine e attualità della filosofia italiana. (2010) 基本的に政治哲学か政治思想史の著作ばかりの印象があるロベルト・エスポジトだったが、ルネサンス以来のイタリア哲学史を辿りなおすことでイタリア現代思想を位…

ジョイス=ブルーノ(フェルカー、ラバテ)

Joseph Voelker, "Nature it is: The Influence of Giordano Bruno on James Joyce's Molly Bloom." (1976) Jean-Michel Rabaté, "Bruno No, Bruno Si: Note on a Contradiction in Joyce" (1989) ドイツの新カント主義的哲学史が教科書レヴェルで普及したせ…

ブルーノ(ガッティ)

Hilary Gatti, "The Natural Philosophy of Giordano Bruno" (2002) ヒラリー・ガッティの主著『ジョルダーノ・ブルーノとルネサンス科学』(1999)はタイトルからしてフランセス・イエイツへの対決姿勢を打ち出しているが、この論文でもなかなかのイエイツ…

 エラノスで

「エラノス叢書」(井筒俊彦監修、平凡社、1990-1995年) 〈エラノス会議〉に〈観念史クラブ〉――「エラノス叢書」と『観念史事典』(西洋思想大事典)。思想の歴史には関心を寄せる身ながらも、どうにも自分とは縁遠いものに感じられてしまう理由を、長らく…

井筒俊彦

井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』(1980) 同『意識と本質』(1983) 〈一〉と〈多〉という伝統的な問題をそのまま「分節されていないもの」と「分節されたもの」とに置き換えて理解することはひとつの常套と化しているような気もするものの、このときえて…

バガヴァット・ギーター(赤松明彦)、マルクス・アウレリウス(荻野弘之)

赤松明彦『バガヴァット・ギーター』(2008) 荻野弘之『自省録』(2009) 思想史研究ではもはやひところのような「比較」という方法は使えないと感じるものの、インド=ヨーロッパ祖語の研究はじめ、『バガヴァット・ギーター』受容史の研究などでも、比較…

松枝到

松枝到『外のアジアへ、複数のアジアへ』(1988) 同『アジアとはなにか』(2005) 同『アジア文化のラビリンス』(2007) いまさら言う人も少なくなってきてはいるが、ともあれ「西洋と東洋」と言ったところでそれは地理的にはユーラシアの西側と東側の話に…

老子(神塚淑子)、アウグスティヌス(松崎一平)、塩川徹也

神塚淑子『老子』(2009) 松崎一平『告白』(2009) 塩川徹也『発見術としての学問――モンテーニュ、デカルト、パスカル』(2010) デカルトが20歳のときの学位論文の献辞なるものが、塩川徹也『発見術としての学問』で仏訳から重訳されていたので、なにげな…

 『象徴図像研究』の

『象徴図像研究――動物と象徴』(和光大学総合文化研究所、松枝到編、言叢社、2006年) 『象徴図像研究』第1〜11号、和光大学象徴図像研究会、1987〜1997年 イメージの問題を考えるうえで、いまや「人類学」と「生態学」の視点の重要性を説き謳う声は喧しいも…

朱子(木下鉄矢)

木下鉄矢『朱熹哲学の視軸――続朱熹再読』(2009) とりわけ第六章の「「事」「物」「事物」「事事物物」」がタイトルからして迫力満点だが、この書物全体を通して朱熹における「事・こと」と「物・もの」の理解が徹底的に問いなおされていると言えるか。山田…

朱子(木下鉄矢)、荘子(中島隆博)

木下鉄矢『朱子』(2009) 中島隆博『荘子』(2009) この二冊の書物を読むかぎり、意識を取り払えば万物の無差別があらわになるという仏教的な発想とむしろ相反するような、いわば個体性と差異を掬いあげる戦略を、荘子にも朱子にも見いだせるよう。 それに…

スフラワルディー(鈴木規夫)、アヤダ

鈴木規夫『光の政治哲学』(2008) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) イスラーム美学を理解しようとするなら(つまりイスラーム文化の生み出した芸術をきっぱりと思想から切り離してしまうので…

ジュリアン

フランソワ・ジュリアン『勢』(原著1992) 「比較」という方法の第一の陥没はニュアンスの掻き消された(あるいは歴史のない)のっぺりした理解を生み出してしまうことだが(これは比較項が固定されてしまうとすぐさま生じる)、総体としての「西洋」なるも…

李沢厚、河野道房、アヤダ

李沢厚『中国の伝統美学』(原著1989) 河野道房「前近代中国絵画関係文献の形式と内容」(上+中+下)(1999-2001) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) 中国の芸術論は早くから「表象」ではな…

宇佐美文理、アヤダ

宇佐美文理「神思と想像力」(1996) 同「六朝芸術論における気の問題」(1997) 同「中国芸術理論史序説」(2005) 同「〈形〉についての小考」(2007) Souâd Ayada, L'islam des théophanies. Structure métaphysique et formes esthétiques. (2009) ヨー…

李沢厚、杉田英明

李沢厚『中国の伝統美学』(原著1989) 杉田英明『事物の声、絵画の詩』(1993) 李沢厚の書物によれば、「公では儒家、私では道家」というのが大ざっぱな中国の思想の棲み分けだと良く言われるにしても、それは「倫理では儒家、美学では道家」というわけで…

謝赫、福永光司、クルアーン(小杉泰)

謝赫『古画品録』(6世紀前後) 福永光司『中国の哲学・宗教・芸術』(1988) 小杉泰『クルアーン』(2009) モーセ、イエス、ムハンマド、それぞれがおこなったとされる「奇跡」の違いが面白い。モーセでは呪術師との対決が、イエスでは医師との対決が背景…

クルアーン(小杉泰)、張彦遠(宇佐美文理)

小杉泰『クルアーン』(2009) 宇佐美文理『歴代名画記』(2010) 絵画に描かれているとおりに画家はものを見ている、と考えてしまう粗雑な心理学者や現象学者は論外としても、ともすれば認識プロセスと制作プロセスは一直線に結びつけられてしまう。張彦遠…

ペイター

ウォルター・ペイター『ガストン・ド・ラトゥール』(原著1896/改訂版1995) 「すべての芸術はたえず音楽の状態に憧れる」という言葉しか知らなかったウォルター・ペイター。この言葉は『ルネサンス』のなかに記されているとのことだが、同じルネサンスを舞…

ブルーノ、小浜善信、グラナダ

Giordano Bruno, Camoeracensis Acrotismus seu rationes articulorum physicorum adversus Peripateticos. (1588) 小浜善信「永遠と時間――プロティノスからトマスまで」(1998) Miguel Ángel Granada, "El concepto de tiempo en Bruno: tiempos cósmicos …

風間喜代三、アガンベン

風間喜代三『ことばの生活誌』(1987) Giorgio Agamben, Signatura rerum. Sul metodo. (2008) 風間喜代三『ことばの生活誌』、どうしてこれまでこれを読んでいなかったのか。あの浩瀚なバンヴェニストに挑戦しては挫折していた身には、滅法面白い一冊。哲…

風間喜代三、アガンベン

風間喜代三『印欧語の故郷を探る』(1993) Giorgio Agamben, Signatura rerum. Sul metodo. (2008) インド=ヨーロッパ祖語にかぎらず、おおよそ「起源」を求めるときにまず第一に躓きとなるのは、いったい「共同体」なる概念をどのようなものとして理解す…

風間喜代三、アガンベン

風間喜代三『言語学の誕生』(1978) Giorgio Agamben, Signatura rerum. Sul metodo. (2008) 比較文法におけるアナロジーの用い方、その恣意性を回避するために実際の歴史的状況を参照するというやり方は、なんだかヴァールブルクのイコノグラフィーにどこ…

ノヴァーリス、風間喜代三

ノヴァーリス「断章と研究」(1799-1800) 風間喜代三『言語学の誕生』(1978) ノヴァーリスが最晩年の「断章と研究」に書き残したスピノザについての言葉を調べるべく、ひとまず邦訳であたりをつけようと手に取った二つの『ノヴァーリス全集』。牧神社版(…

アガンベン

Giorgio Agamben, Signatura rerum. Sul metodo. (2008) ひきつづいてアガンベン『事物のしるし』。チョムスキーの「生成文法」に言及しているのは、なんともおざなりなその言及の仕方を見るにつけ、たんに「比較文法」との語呂合わせをしたかったのではない…

アガンベン

Giorgio Agamben, Signatura rerum. Sul metodo. (2008) アガンベンが哲学的考古学の探究する「アルケー」を宇宙論の「ビッグバン」になぞらえているあたり、ベンヤミン的な「渦」はもう聞き飽きたのでそれなりに面白く思ったものの、ふとジョージ・クブラー…