The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 『象徴図像研究』の

イメージの問題を考えるうえで、いまや「人類学」と「生態学」の視点の重要性を説き謳う声は喧しいものの、実際にそうした分野で蓄積されている厖大な知見をほんとうにどれだけ知り、分かっているのかは、心許ないかぎり。せめて「人類学」的な視点からのイコノグラフィーの蓄積を、ユーラシア大陸における分だけでも見渡しておこうとするなら、まず手引きになりそうなのが雑誌『象徴図像研究』全11巻とその総集編とも言うべき書物『象徴図像研究――動物と象徴』あたりか。



書物『象徴図像研究――動物と象徴』目次

序 (前田耕作


【第一部】動物象徴の世界
動物表現の起源――ルロワ=グーランの仮説をめぐって (蔵持不三也)
蛇のほめ歌 (前田耕作
古代中国の動物図像 (土居淑子)
ワニとは何か――日本神話の動物誌 (松村一男)
土蜘蛛の原義について (瀧音能之)
古代イランの動物変身――ウルスラグナを例に (岡田明憲
スィームルグについて――アッタール作『鳥の言葉』を手がかりに (甲子雅代)
ケルトの動物文様と装飾主義 (鶴岡真弓
カエルをめぐる象徴性――グリム童話集を超点に (嶋内博愛)
コクッロの蛇祭り (竹山博英)
人狼Werwolfとその周辺 (檜枝陽一郎)
メソアメリカにおける蛇図像 (越川洋一)
スリランカ現代政治における動物のシンボリズム (渋谷利雄)
赤い隼の歌をめぐって (村山和之)


【第二部】象徴イメージの世界
視覚芸術の構造を探る試み――北米大陸北西海岸インディアンの象徴的画像にみる造形素分析の可能性 (大村敬一
呪術における「力」概念の効用と限界――「宗教誌」の記述をめぐって (樫尾直樹)
王の見えざるところ――南インドのある小王権の巡幸儀礼について (中村忠男)
日本の「牲 サクリファイス」をめぐる一考察――日本社会の供犠構造に関する一試論 (田口良司)
ヘルメスをめぐって (井本英一)
神異なる仮面の高僧――四川省石窟宝誌和尚像報告 (北進一)
フリーメイソンの五芒星(五尖の星) (佐藤信夫
台湾原住民の美術様式について (清水純)
張騫図と乗槎説話 (杉原たく哉
ガンダーラのヴァジラパーニをめぐる一考察 (前田たつひこ)
ビザンティン絵画を読み解く――「エゼキエルの死の谷での幻想」の図像を手がかりに (永澤峻)
カルナヴァルの熊――フランス・ルシヨン地方のプラ=ド=モロの事例より (出口雅敏)
マリア授乳図をめぐって――乳を与える母のシンボリズム (寺戸淳子)
仙人の誕生――全真教と呂洞賓信仰を中心として (福島一浩)
屈原(と)の対話 (松枝到

雑誌『象徴図像研究』総目次

  • 創刊号(1987年)

蔵持不三也「動物表現の起源――ルロワ=グーランの仮説をめぐって」
中村忠男「供養と馬――古代インドにおける馬のシンボリズム解明に向けて」
松枝到「シンボルの生と死――動物三頭像をめぐって」
鶴岡真弓ケルトの動物文様とオーナメンタリズム」
檜枝陽一郎「中世動物叙事詩『ライナルト狐』における王権」
竹山博英「タランティズモ」
渋谷利雄「スリランカ現代政治における動物のシンボリズム」
シンポジウム「神話と政治――ギンズブルグのデュメジル批判をめぐって」

  • 第2号(1988年)

土居淑子「古代中国の動物図像」
アンドレ・ルロワ=グーラン「中国青銅器に見られる動物図像芸術」(中村忠男訳)
永澤峻「「ダヴィデとゴリアテの戦い」の図像をめぐって――九世紀から一〇世紀の東西中世世界の写本挿絵群の中の展開」
松村一男「壷絵における顔の正面性をめぐって――ディオニュソスの場合」
越川洋一「マヤ文明における死と再生の図像表現を追って」
清水純「台湾原住民の美術様式について」
北進一「金剛寺日月山水図屏風の実像(1)――新たなイメージを求めて」
シンポジウム「中世のシンボリックな世界をめぐって」

  • 第3号(1989年)

前田耕作「蛇のほめ歌」
竹山博英「コクッロの蛇祭り」
越川洋一「メソアメリカにおける蛇図像」
松村一男「ワニとは何か――日本神話の動物誌」
永澤峻「西洋中世初期の動物図像をめぐって」
中村忠男「切断と変換――合成動物の文法に向けて」
渡辺和子「古代メソポタミアにおける「生命の木」――研究の現状と問題点」
寺戸淳子「マリア授乳をめぐって――乳を与える母のシンボリズム」
村山和之「南西アジアにおける象徴的動物図像研究文献目録(1)」

  • 第4号(1990年)

瀧音能之「土蜘蛛の原義について」
北進一「兜跋毘沙門天請来ス――兜跋毘沙門天研究」
田野邊尚人「李小龍伝説――大衆映画における龍の変容」
樫尾直樹「デュルケム供犠論再考――力、差異、贈与」
ネリー・ナウマン「昔話、神話、先史図像における時間意識と時間概念」(檜枝陽一郎訳)
カルロ・ギンズブルグ「カルロ・ギンズブルグに聞く――ミクロ・ヒストリア、ワールブルグ、デュメジルシャーマニズム」(竹原あき子インタビュー)
田口良司「我師・コペ先生――パリ高等研究所から戻って」
中村忠男「タミル通信――フィールドを前にして」

【バローチスターン調査概報I】
土居淑子「東洋史の空白部」
前田耕作「マストゥングの考古遺跡」
松枝到「バローチスターンにおける可能性をもとめて」
渋谷利雄「バローチスターンの民衆宗教――眼力の信仰をめぐって」
黒崎真紀子「フィールド・ノートより」
村山和之「バローチスターン調査研究会の活動」
黒崎真紀子「ムハンマド・サルダル・ハーン・バローチ『バローチスターン民族とバローチスターンの歴史』」

村山和之「南西アジアにおける象徴的動物図像研究文献目録(2)」

  • 第5号(1991年)

甲子雅代「スィームルグについて(1)――アッタール作「鳥の言葉」を手がかりに」
ロベール・デロール「猫」(與那覇豊訳)
田口良司「日本の「牲」をめぐる一考察――日本社会の供養構造に関する一試論」
シャルル・マラムー「断ち筋――ヴェーダ供犠における切断に関する指摘」(菅野和弘訳)
前田耕作「〈血〉のはなし」
北進一「山東だより」

【バローチスターン調査概要II】
前田耕作「クエタ・マストゥング・カラートの考古遺跡」
松枝到「カラート訪問記」
渋谷利雄「バローチスターンの民族宗教(その2)」
土居淑子「バローチスタンにおける化粧法と服飾」
黒崎真紀子、中島文子「化粧・装身具」
蔵持不三也「ミラド=ウン=ナビ祭」
村山和之「M・ロングワース・デイムズ『バローチー詩歌集』」

村山和之「南西アジアにおける象徴的動物図像研究文献目録(3)」

  • 第6号(1992年)

岡田昭憲「古代イランの動物変身――ウルスラグナを例に」
嶋内博愛「蛙はやっぱり蛙か――グリム童話集における蛙の表現」
檜枝陽一郎「人狼Werwolfとその周辺」
エミール・バンヴェニスト「広き牧場の君たるミスラ(1)」(田中昌司訳)
樫尾直樹「呪術における「力」概念の効用と限界――「宗教誌」の記述をめぐって」
村山和之「赤い隼の歌をめぐって(1)」
前田耕作「〈アマゾネス〉とは何者か」
北進一「四川省兜跋毘沙門天紀行」
露口哲也「パキスタンの博物館――ファキール・ハーナ博物館」
上尾美湖「そして残ったものは……」
村山和之「南西アジアにおける象徴的動物図象研究文献目録(4)」

  • 第7号(1993年)

大村敬一「視覚芸術の構造を探る試み――北米大陸北西海岸インディアンの象徴的画像の造形素」
岡田明憲「鳥葬のシンボリズム」
甲子雅代「スィームルグについて(2)」
カルロ・ギンズブルグ「ギンズブルグ教授を囲んで――象徴と歴史」(象徴図像研究会インタビュー)
カルロ・ギンズブルグ「カルロ・ギンズブルグ教授に聞く」(竹山博英インタビュー)
佐藤信夫フリーメイソンの五枝星(後光星)」
エミール・バンヴェニスト「広き牧場の君たるミスラ(2)」(田中昌司訳)
カール・ヘンツェ「頭上に家をもつ女神」(檜枝陽一郎訳)
クロード・レヴィ=ストロース「シナ海のヘロドトス」(中村忠男訳)
前田耕作「ギュゲスは何をみたのか」
土居淑子、杉原たく哉、北進一「山東省仏蹟調査概報(1)」
村山和之「クエタの赤い隼」
Abdul Razzak Sabir, Description of Animals and Birds in Brahui Literature.〔ブラーフィー文学における動物および鳥の描写〕
村上和之「アブドゥル・ラザック・サービル氏について」

  • 第8号(1994年)

杉原たく哉「張騫図と乗槎説話」
大村敬一「描画から何を知ることができるのか?――カナダ・イヌイットの描画89例の特徴とその分析上の諸問題に関する予備的考察」
檜枝陽一郎「動物と命名法について――ゲルマンを例として」
エミール・バンヴェニスト「イラン語における供犠を表す用語法について」(前田龍彦訳)
前田耕作「キュモン・メモラビリア
中村忠男「王の見えざるところ――南インドのある小王権の巡幸儀礼について」
出口雅敏「カルナヴァルの現在――フランス、ルシヨン地方のプラ=ド=モロの事例より」
土居淑子、杉原たく哉、北進一「山東省仏蹟調査概要(2)」
村山和之「バローチ研究資料の動向――文献資料を中心に」

  • 第9号(1995年)

永澤峻「ビザンティン絵画を読み解く――「エゼキエルの死の谷での幻想」の図像を手がかりとして」
前田龍彦「コンマゲネの「叙任図」をめぐって」
土居淑子「中国古代における獅子図像」
福島一浩「仙人の誕生――全真教と呂洞賓信仰を中心として」
井本英一「アンダルシアの旅」
エミール・バンヴェニスト「インド・ヨーロッパ語における「永遠」の表現」(前田龍彦訳)
前田耕作「考古学者の影」
北進一「山東省仏蹟調査概要(3)――特に石窟造像における独自性、西方性と東方への影響について」
村山和之、 アブドゥル・ラザック・サービル「国際ブラーフィー・セミナー」

  • 第10号(1996年)

前田龍彦「ガンダーラ美術にみる、仏伝の中の五本の樹」
井本英一「ヘルメスをめぐって」
北進一「神異なる仮面の高僧――四川省石窟宝誌和尚像報告」
エミール・バンヴェニスト「インド・ヨーロッパ語の「女」について」(前田龍彦訳)
ウラジーミル・ニコラエヴィッチ・トポロフ「ある古代ペルシア語の解釈について――エミール・バンヴェニストに捧げる」(川崎万里訳)
ピエール=マキシム・シュール「アリアドネーの糸」(前田耕作訳)
マルセル・ドゥティエンヌ「神とはなにか」(前田耕作訳)
前田耕作「レナク家の人びと」
村山和之「バローチスターン滞在を終えて」
Anna Maria Quagliotti, Mâra in a "pensive" attitude in Buddhist art.〔仏教美術におけるマーラ思惟像〕
Abdul Razzak Sabir, Socio-economic and cultural factors of Balochistan.〔バローチスターンの社会経済・文化事情〕

  • 第11号(1997年)

岡田明憲ゾロアスター教における牛のシンボリズム」
前田龍彦「ガンダーラのヴァジラパーニをめぐる一考察」
北進一「阿弥陀はなぜ振り向くのか?――四川省安岳円覚洞の見返り阿弥陀像と京都・永観堂のみかえり阿弥陀像の引路菩薩を介しての比較研究」
エミール・バンヴェニスト「diabèteという名称」(前田耕作訳)
エミール・バンヴェニスト「都市名「ガズナ」について」(前田耕作訳)
ヴィヤチェスラヴ・フセヴォロドヴィチ・イワノフ、ウラジーミル・ニコラエヴィッチ・トポロフ「インド・ヨーロッパ語族の神話」(川崎万里訳)
松枝到屈原(と)の対話」
前田耕作デルポイの鼎」
Anna Maria Quagliotti, Another Look at Mohammed Nari Stele with So-called "Miracle of Srâvastî".〔モハメッド・ナリの石彫にみるいわゆる「シュラヴァスティーの神変」再考〕

【バローチスターン調査報告】
前田耕作松枝到、村山和之「バローチスターン調査の大概」
中村忠男「ヒングラージ巡礼とパキスタンヒンドゥー共同体」
村山和之「ホラーサーン聖廟考」
前田龍彦「スタインによるラス・ベーラ踏査」

田井淳三朗「ギリシアテッサロニキにて」
ジャン=ノエル・ロベール、前田耕作松枝到「オカルト・法華経・仏教研究」(鼎談)