ガレン、パンシャール
- Eugenio Garin, Medioevo e Rinascimento. (1954)
- Bruno Pinchard, La Raison dédoublée.(1992)
どのインタビューだったか、たしかミシェル・フーコーは「ヒューマニズムはルネサンスではなくて一九世紀の発明だ」という主旨のことを強調していたことがあったかと思う。とすれば、結局のところ今日の「アンチヒューマニズム」(あるいは「非人間主義」)なるものの射程は、ルネサンス以来の西洋近代全体に及ぶものというよりも、いくぶん限定的に、一九世紀ドイツの古典主義〜新カント主義あたりを標的にしていると理解するのが妥当なところかもしれない……と、ブリュノ・パンシャールが「〔ルネサンスの〕ヒューマニズムへの回帰は、主体の哲学と混同されるものではなく、むしろ効力や力能についての省察、つまり人間に行動を――みずからがその行動の源泉でありえないときでさえ――差し出しうる原理の探究にある」と書いているのを読んで、思いを新たにする。
パンシャールによれば、アンチヒューマニズムは、人間をそれ自体で(ないしその主体性によって)尊厳あるものと見なす考えを批判する点では正しいが、自然の作用と人間の仕事との相互作用を考える段になると、効力や力能の不安を考慮せず、独断的な悪夢と化すという。すでに古典的となったエウジェニオ・ガレンの指摘に眼を向けてみても、ルネサンスのヒューマニズムが世界を〈人間の相のもとに〉発見したというのは、たえまない生成変化のなかにあるものとして世界と人間を見いだしたこととされている。ヨーロッパが近代の黎明に発見した「人間」なるものとは、ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラによって謳われたように、固有の本性も相貌ももたない不定形の存在だったのだから。