The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 松原洋子、小泉義之編『生命の臨界―争点としての生命』(人文書院、2005年)

生命の臨界―争点としての生命


生命倫理環境倫理について問いなおした、いくぶん論争的な姿勢に貫かれた書物。

生命の序列化や差別化(優生学的なものから「QOL」論的なものまで)を批判し、生の複数性をいかに肯定するかについての問いが、この書物全体に通底しているように思う。自己決定論は決して個人の尊重を意味しないこと、「QOL」論がアメリカの宗教的な背景を色濃く受け継いでいること、尊厳死優生学とが結びついていること、病人が資源であること、病気や障害が差別される(恐れられる)のは、病気や障害そのものが恐ろしいからではなく、現在の社会では病気や障害をもったまま生きるのが困難なためであること、等々、重要で革新的な視点が次々と提起され、「自己決定」「責任」「尊厳」「権利」といった概念がもはや機能不全に陥ってしまっているさまが鋭く描きだされていく。優生学(新優生学も含め)が抱くいささか陳腐な生の理想像や、生死を語る際に知らず知らずのうちに入り込んでしまう陳腐な形而上学への批判は容赦ない。

だが、こうした問題の解決への糸口を、生の複数性の肯定に見いだすことができるのかどうかは、率直に言って疑問が残る。価値や序列をなくすことはそもそも可能なのだろうか。むしろ、そうした価値や序列が不可避的に入り込んでしまうことから出発して(そこに居直らずに)、考えるべきではないだろうか。

ところで、この書物のなかで触れられていたジョルジュ・カンギレムの「健康=逸脱できること/病気=逸脱できないこと」という考え方は面白い。元気なときは無理できるし、病気のときは無理できないを考えると、充分に説得力をもつ。この考えを踏まえるなら、〈正常/異常〉の区分を根本的に考え直す必要がでてくるだろう。