The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

ミシェル・セール『作家、学者、哲学者は世界を旅する』

ミシェル・セール『作家、学者、哲学者は世界を旅する』清水高志訳、水声社、2016年(原著2009年)

 

セールによれば、クロード・レヴィ=ストロースが「野生の思考」と捉え直したようなトーテミズムは、分類操作の基本原理として、自然科学の起源にある。そればかりか分類は、分類対象のみならず、分類をおこなう学者をも、その分類手法に応じて区別し分類してしまう。トーテミズムとしての科学の社会性がここにある。

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フィリップ・デスコラの語るアニミズムはさまざまな身体に共通の魂を見るが、セールによれば、ルネサンスガリレオ・ガリレイが成し遂げたものこそ、そのようなアニミズムの再生だったという。というのもガリレイは、多様でハードな物質世界をコード化し動かしている一つのソフトな数学的法則を見いだしたのだから。世界は数学の言語で書かれているとは、万物を動かす魂の発見の謂いにほかならない。とはいえ、ガリレイにとってその数学はまず幾何学だったのに対して、セールにとってはなによりもアルゴリズムである。

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トーテミズムが自然科学の起源にあり、アニミズムが物理学の起源にあるとすれば、アナロジズムは数学の起源だという。数学は次々と等号を打ち立て、同一性の種類の増加とともに進歩してきた。主体と客体は思考のなかでそのように同一化される。考える私は考えるものになる。私とは他者だ。といっても、同一性は多数あるのだから、私は多者でもある。アニミズムは変身にあらわれ、物理学は変形を扱うが、アナロジズムは所有=憑依にあらわれ、数学は思考を世界地図にする。

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デスコラにとってはナチュラリズムこそ西洋近代の基礎であり、批判すべきと言わずとも相対化すべき当のものだが、セールによれば近代科学はナチュラリズムにもとづいてなどいない。自然と文化との分割は存在せず、ただ権力と一体化した近代の教育制度における「人文科学」がそう語ったにすぎないという。そうして文化を自然に統合するセールの議論は、「大きな物語」のアルゴリズムに基礎をもつ一つの「ビッグ・ヒストリー」という印象を与える。ロジェ・カイヨワにも似るところがあるが、とはいえその基礎は法則というよりも物語のかたちをしている。

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知が普遍性に到達するのは、セールにしたがうなら、イデオロギーの不在でも、多種多様な見方でもなく、ある知が別の多くの知と付着成長のように絡まり合っていくそのつながりだ。デスコラは四つの存在論を分類するだけだが、セールはそれを次々につなげ、循環させて、アルゴリズム的な普遍性を示す。