The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

ミシェル・セール『人類再生』

ミシェル・セール『人類再生』米山親能訳、法政大学出版局、2006年(原著2001年)

 

セールは人類の文化と認識の発展の起源を、最初期の技術たる動物の家畜化(正確には人間と動物の「相互飼い慣らし」)に見いだす。その要となったのは、分節言語によらない外観の――しばしばきわめて美しい――表出によるコミュニケーションであるという。こうした言葉以前の感性的なやりとりは、現代では無用のものになっているどころか、セール言うところの「出ダーウィニズム」の作用にしたがって、科学技術を通して種々様々なデータへと翻訳されて地球規模の集団組織――「ビオソーム」――の根幹になり、いっそう緊密で重要なものになっている。

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セールが自由と多様性の原理とする情報装置は、コンピュータ以前にすでに筆記具であり、さらにはそのモデルになった農耕の風景(pagus)であり、もっと言えばアルゴリズムとしての自然そのものだ。その汎価性がまさに目的なき合目的性であることに注意しよう。

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技術は偶然を排除することでものごとを合目的的にするが、筆記具からコンピュータまでの情報の技術は特定の目的なしに合目的性のみを生み出すという。バイオテクノロジーがゲノムという情報のレヴェルにまで達した現在、セールによれば、この目的なき合目的性は生命それ自体、ひいては世界それ自体の特性と化している。この指摘は、新田博衞の示唆によればもともと芸術ではなく自然とりわけ生命のことが念頭にあったカント『判断力批判』の洞察に、たしかに通じるものだろう。だが、カントとセールとのあいだで科学と道徳のありようが変わってしまったがゆえに、美的判断も生の意味も変わらざるをえない。

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自然と文化のあいだの移行という文化人類学的な問題について論じながら、セールはそこから第三項として「精神=霊」が生じると示唆する。それは暴力に対する言葉であり、エネルギーに対する情報であり、ハードウェアに対するソフトウェアである。セールが宗教を重視する理由の一端はここにある。とはいえ、この精神的なもの、霊的なものの発生は、時間的順序においてよりあとのものというわけではないはずだ。認識のまえに交換があり、交換のまえに契約があるのだから。