The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

ファルギエール

  • Particia Falguières, "The theatrum mundi in the Sixteenth century" (2005)

パトリシア・ファルギエールはルネサンス哲学と現代美術の二つを軸に据えた研究をしているので、個人的になんとなく親近感を覚えるが(時間割の都合で授業を取れなかったのがいまでも悔やまれる)、このインタビューでは、ルネサンスにおける「世界劇場〔theatrum mundi〕」の比喩を、プラトン『法律』にさかのぼる系譜ではなく、むしろ意外にも当時のアリストテレス主義との関連から、「機械の劇場」「トポスの論理と技術」として明快に解説している。
それによると、永遠不変の天上界と生成変化する月下界とを峻別するアリストテレス主義的な世界観を背景に、不可知だが表象可能な天上界に対して、可知的だが表象できない月下界をそれでも把握する普遍的道具として、ルネサンス的な「トポス」の技術が生み出されたという。いわばある種の分類のテクニックだが、中世のとは異なって、分類法(容れ物)と分類される事象(中味)とが無関係(そうでないと普遍的な応用性をもてない)なのが、特異な点であるとのこと。とすれば、一見すると網羅的で百科全書主義的たらんとしているかのようなルネサンスの分類法や論理学や記憶術……は、実は、全世界を包括的にあらわした表象ではないことになる(たとえイメージに満ちあふれていたとしても)。そうではなく、どんな偶然的なものでも秩序づけて構成しうるという意味で「普遍的」な、一つの道具にすぎない(別の仕方をとれば別の秩序へと構成しうるのであって、唯一絶対の完全な表象をつくりだすわけではない)。
天上界と月下界の区別を破棄するジョルダーノ・ブルーノは、この「道具」を全宇宙に適用してしまったようにも見えてくる。そうであるなら、ガリレイはまさにその反対のことをおこなって、数学という天上界の原理を月下界に適用し、この普遍的道具を解体したようにも思える。