The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 河本英夫『オートポイエーシス―第三世代システム』(青土社、1995年)

オートポイエーシス・システムを、動的平衡システムおよび動的非平衡システムと対比しつつ、その延長線上に位置づけた書物。

オートポイエーシスは、もう何年も前から折に触れて理解しようとしているものの、いまだ漠然とした直観および理解への糸口があるだけで(個人的には、オートポイエーシスは広い意味での、そして最良の意味での「新プラトン主義」の系譜に連なるもののように思う)、雲を掴むような印象を抜け出せない。とはいえ、この書物は、動的平衡システム(「ホメオスタシス」)と動的非平衡システム(「自己組織系」、あるいはミシェル・セール言うところの「ホメオレーシス」?)との明確な比較がなされているため、オートポイエーシスの輪郭を比較的見定めやすい。また、生命科学やシステム理論の概観としてもよくまとまっていて多くを教えられるほか、「構造なき構造」というような格好だけでその実空疎だったりする概念に対する鋭い批判も小気味良く感じる。

あらためて読むことで感じたのは、オートポイエーシスが前提としている「ポイエーシス」が「プラクシス」と奇妙に入り交じっていて、そこが理解を妨げる要因のひとつになっているのかもしれない、ということだ。「創造」と「行為」が奇妙に接合されているため、どちらの視点でもうまく把握できない。「観察者の視点を捨てて、ことがらの内部から捉える」というほど単純な事態になっているようには思えないところがある。おそらく、内部から捉えることができるのは「行為」であって「創造」ではない。「創造」は徹底的な外部からしか捉えられないのではないだろうか。しかしそうすると、オートポイエーシスではなくなり、むしろ複数のホメオレーシスの併存と干渉になるようにも思う。はたして。