The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ホセ・オルテガ・イ・ガセット『芸術論』(オルテガ著作集 (3)、神吉敬三訳、白水社、1970年/新装版1998年)


ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883-1955)による美学の論考「美術における視点について」「芸術の非人間化」、およびベラスケスとゴヤについての論考を収録した書物。

メタファーは現実を回避するために使用される、という名高いメタファー論も含んだ「芸術の非人間化」(1925)は、たしかに〈人間化/非人間化〉という語や「生きられたもの」を中心におく考え方は時代を感じさせるものの、とても80年前に書かれたものだとは思えないほどに、同時代の前衛芸術運動(「芸術のための芸術」)についての鋭利な洞察を含む(ただし、「芸術のための芸術」の裏面である「生のための芸術」については言及してないが)。とりわけ、前衛芸術のうちに謙虚さと喜劇性を見いだす点が強く印象に残るが、少しだけ触れられる蝋人形についての考察も、いろいろと展開させる余地を残していて面白く感じる。

また、ベラスケスの独創性は日常の事物を純粋に視覚へと還元するところにある、とするオルテガの指摘が、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンとほとんど同じ語をもちいつつも、その方向性がまったく逆なのも興味深い。ディディ=ユベルマンの場合は、純粋に視覚的な「apparance」が触覚的なものによっておびやかされるときに、それは見るものを動揺させる「apparition」(まさに「revenant」のごとき)となるが、オルテガの場合はそれとは逆に、視覚と触覚が混じり合う(さらにはどちらかといえば触覚に重きがおかれる)日常の事物が純粋に視覚的な「apariencia」へと還元されるときに、それは「aparición」(まさに「aparecido」「revenants」のごとき)となる。これはもちろん、ひとつにはモダニズム(的還元主義)へと向かいつつある時代と、それが問い直されつつある時代との差異ではあるのだろうが、この用語と志向の一致にはそれだけではない捩れた関係があるように思う。

とはいえ、「生」の観点に立とうとするオルテガならばある意味で当然のことかもしれないが、作品を作者の行為へと、意図へと還元するという(ディルタイ流の)besser Verstehenの解釈学に与する点には、オルテガの限界を感じてしまう。