ジョルジョ・アガンベン『バートルビー―偶然性について [附]ハーマン・メルヴィル『バートルビー』』(高桑和巳訳、月曜社、2005年)
ジョルジョ・アガンベン(1942- )が、ハーマン・メルヴィルの小説『バートルビー』を、「潜勢力」の問題系から読み解いた書物。
なにかを「することができる」ということは同時に「しないことができる」ということでもある。アガンベンはこうした潜勢力(可能態、潜在力、能力)の特徴を、「エポケー」として、宙吊りとして捉えることで、必然性に対する偶然性を、現勢力=現実態に対する潜勢力=可能態を、ベンヤミン的な過去の「救済」として読みかえる。
とはいえ、「あったこと」と「なかったこと」の狭間にある「できること=ありうること」によって両者の差異と対立を宙吊りにする、というのはいつものアガンベンの戦略ではあるが、はたしてそれは「差異なきユートピア」といういささか危なげな理想とどこが違うのか、と思ってしまう。もちろん、このあたりのことはアガンベンの共同体論を厳密にたどったあとでなければ結論づけえないことではあるが、この微妙な親近性については留意しておいたほうが良いだろう。
ところで、「意志」と「潜勢力(能力)」の区別を論じた箇所がとりわけ面白く感じる。もちろん、これはすでに『中身のない人間』で「プラクシス」と「ポイエーシス」の区別として論じられていたとも言えるが、「欲すること」と「できること」との微妙な関係について、中世神学における「potentia ordinata」と「potentia absoluta」や、同じく中世のドンス・スコトゥス、あるいはライプニッツやヴォルフの思考を通過しつつ、考察されており、また別の側面が浮かび上がっているように思う。