The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ジャン・ブラン『手と精神』(中村文郎訳、法政大学出版局、1990年)


ジャン・ブラン(1919-1994)が、人間の「手」の解剖学的構造や機能から象徴的な意味までを辿りつつ、「把握すること」「触れること」について考察した書物。

人間と動物との区別を規定しようとするとき参照されるものとしては、さしあたり「ことば」がまず思いつくが、それと同じくらい直立二足歩行によって自由となった「手」もまた参照される。そこからも、「手」というのがたんなる身体器官に還元しえない意味を孕んでしまうことが見て取れる。ブランは、把握するものとしての「手」によって動物から人間を区別する進化論的言説の欺瞞を指摘し(ミシェル・ド・セルトーの歴史学批判にも通じるような鋭い指摘のように思う)、それが不可避的にグノーシス主義的な救済説と結びついてしまうさまを描きだすが、同時にそれとは異なる「手」の在り方を「触れること」という観点から素描していく。その「触れること」について一貫して主張されるのは、手は触れることで触れるものに寄り添いつつもそれと融合することはない、ということである。これをブランは、最後にはseuilのメタファーで語る。

「触れること」についてのいわば現象学的な記述については、鶏と卵のような循環的な事態を独断的に還元してしまっている部分がなくはないように思うが(道具において「使用者の意図」と「使用されるものの形態」はどちらが先かを無理に判断しても、得るところは少ないのではないだろうか。そうした図式で語るとすれば、両者の循環のなかにしか道具は存在しえないだろう)、不在と現前に共通するものが「かたち(形相、形態)」であることをアリストテレスに遡って指摘しつつ、それを、「手」が触れるものの「かたち」を受け取って保持し続けることと結びつけているのは面白い。ブランは、いわば、「不在」というものの起源を「ことば」にではなく「手」に見いだしていると言えるだろう。