The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

マッシモ・カッチャーリ『三つのイコン』

Massimo Cacciari, Tre icone, Milano : Adelphi, 2007.

 

マッシモ・カッチャーリはピエロ・デッラ・フランチェスカ《復活》を、アルベルティやヴァッラに体現されているような「悲劇的」人文主義の文脈で見る。カッチャーリによれば、人文主義は単純で純粋な〈ことば〉——キリストにしてギリシア的ロゴスでもある——への回帰であり、その語る形式の純化が社会・政治・宗教の革新を導いたという。純化された形式でピエロが描いた目覚めたキリストと眠る兵士たちは、〈ことば〉の純化の必要性と不可能性を示していると解釈される。

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ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》で、商人であり自宅で婚礼を執り行っているジョヴァンニ・アルノルフィーニとジョヴァンナ・チェナーミの姿が信仰と希望の図像になっていることを踏まえつつ、カッチャーリは、ファン・エイクがすべてを光のもとに描いている、つまりこの世俗の世界を「救済された」「美しい」ものと描いている、と指摘する。ただしアガペーだけが不在であり、不在のかたちでもたらされ、そこに知的愛、幾何学の仕方で証明されたカリタス、というエチカが成立しているのだという。

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アンドレイ・リュブリョフの《三位一体》と《救世主》の図像誌から、観想する神としての父と活動するその〈ことば〉(ロゴス)としての子の関係、神的な感覚、神的な見ることとしてのイコン、などが論じられていく。カッチャーリの論述が絵画をただの思想の図解に還元してしまっていないとすれば、それは図像学を踏まえていることに加えて、まさに絵画を見ていることにあるだろう。絵画を見ることを通して、なぜそう描いたのか、描くことができたのか、描かざるをえなかったのかに触れてはじめて、図像は現実になる。