The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

星野太『崇高の修辞学』

星野太『崇高の修辞学』、月曜社、2017年

 

感性に関わる「美学的崇高」の背後に、言葉に関わる「修辞学的崇高」が発掘される。これはアイステーシスの根底にすでにロゴスがあるということなのだろうか。

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偽ロンギノスは、過去の崇高な作品に触れることがみずから崇高な作品を書く方法であるとしたが、その具体的な作業が引用であるという。しかも偽ロンギノスはただの引用するのみならず、連想から引用を集積し、それに対抗する比喩形象をみずからも形成せざるを得ない状況を築いているのだという。「古典」が、「パラダイム」が、過去のたんなる事実と異なるのは、この点においてだろう。

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「技を隠す技」という修辞学の原則を、偽ロンギノスはピュシスとテクネーの交差として語る。フィリップ・ラクー=ラバルト以前に、イマヌエル・カントにも、さらにジョルダーノ・ブルーノにも通じる論点だが、ここで考えるべきは、そうした思想の系譜の効力が、テクネーを隠す「崇高」に対してテクネーを顕わにする「滑稽」というような変換関係のなかで生じているように思えることではないか。本書でド・マンとともに論じられる「アイロニー」、あるいはジャンニ・カルキア『崇高の修辞学』が崇高の世俗化で触れている「ユーモア」、そしてもちろん「美」、といった変換と組み合わさってこそ、たんなる影響や継承ではない系譜が形成されるように思う。