金森修『フランス科学認識論の系譜―カンギレム、ダゴニェ、フーコー』(勁草書房、1994年)
科学認識論系の哲学者ジョルジュ・カンギレム、フランソワ・ダゴニェ、ミシェル・フーコーの議論を紹介しつつ、いくつもの主題を概観した書物。
カンギレムやダゴニェの議論についてはやや紹介という色合いが強く、そこで問われている問題自体は簡単な素描に終わってしまっている気もするが、いくつかの面白い視点が提示されているように思う。とりわけ、「風景」が「速度」「百科全書」「コレクション」といった概念と結びついているという指摘に興味を惹かれる。これを、クシュシトフ・ポミアンやあるいはヴァルター・ベンヤミンの議論などと重ね合わせてみるとどうなるだろうか。マリオ・ペルニオーラも『エニグマ』のなかで「もの性」を軸にして「風景」「コレクション」「データベース」といった概念を接続させているが、それと重ね合わせても面白いかもしれない。
カンギレムの技術論については、生命論という領域を考慮しなければその面白さは生きてこないだろう。たんなる技術論・創造論のみを取りだしてしまったら、美学の領域での多くの議論のなかで色褪せてしまうのではないだろうか。それよりは、アンドレ・ルロワ=グーランやマルセル・モースの人類学的な思考との照応関係に注意しつつ読むのが妥当なのかもしれない。