The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 Jacques Rancière, Le Destin des images, La Fabrique, Paris, 2003.

ジャック・ランシエール(1940- )の『イメージの運命』から、第一章「イメージの運命」を読む。

現代においてイメージがどのようなものと考えられているかをメタレヴェル的に分析していく手腕は、さすが鋭い。19世紀末に起こった「芸術の純粋化」と「芸術の生活化」という構図が現代におけるイメージの現実性の問題でも反復されている、というのはたしかにそうだろう。その「芸術の純粋化」と「芸術の生活化」が、無媒介性への志向という点で実は同じ硬貨の表裏である、という考察は、マリオ・ペルニオーラの『芸術とその影』の議論と重ね合わせると面白いかもしれない。

とはいえ、ランシエールの議論において重要なのは、イメージを「操作」と捉える観点だろう。最近のイメージ論では、イメージを「証言」とする議論が盛り上がっているようにも思うが(やはりロラン・バルトの「プンクトゥム」の残響がまだ響いているのだろうか)、この議論が一方で過度の単純化を招きやすい側面をもっていることを考えるなら、ランシエールのこの視点はそうした単純化を戒めることができるという点で重要であるように思う。たとえ、ランシエールの提示する「美学的体制」と「表象的体制」の構図に乗っからずとも、である。

イメージのうちでは、いかなる操作が作動しているのだろうか。