The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

古田徹也『言葉の魂の哲学』

古田徹也『言葉の魂の哲学』、講談社選書メチエ、2018年

 

概念の実体化への批判と、言葉の立体的理解への洞察が、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインカール・クラウス言語哲学から汲み取られていく。言葉以前のものを実体化して、言葉をその代理と見なすと、世界との直接の交流が失われたという発想に行き着いてしまう。それに対して言葉をふるまいの一つと見なすと、言葉は何かの代理ではなくなり、むしろそのつどの使用が重要になる。加えて、そのふるまい、その使用を支えている歴史性が、「生の形式」が、重要になる。言葉の多義性と多様性の立体的な構造は、生の形式そのものだ。

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自然言語の多義性を生の形式として把握し、人工言語の効率性を野蛮と戦争に通じるものとして批判するのは、遡るなら、ルネサンス人文主義がスコラ学のラテン語を言語の野蛮として非難したことにまでつながっているだろう。多義性と多様性こそが形式の構成、ゲシュタルト構築の基盤となりうる。それは繊細の精神だ。とはいえ、その逆のゲシュタルト崩壊は、分節言語の使用とは別の、詩、音楽、絵画といったふるまいを(再)発見させる契機でもありうるかもしれない。ロラン・バルトが「言語のざわめき」と呼んだ幸福なゲシュタルト崩壊もあるかもしれない。