The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

コッチャ

  • Emanuele Coccia, La vita sensibile. (2011)

イメージ人類学とはまた別の流れで、エマヌエーレ・コッチャやダニエル・ヘラー=ローゼンやダヴィデ・スティミッリのように、一見して地味なくらい思想史に沈潜しながらイメージの問題系について大胆な哲学的展望を切り開いてみせる仕事も、このところちらほら目に留まる。そのコッチャの新刊は、タイトルから予想されたとおり、先日読んだ論文の延長線上にあるイメージ論であり美学。感性的なものの「自然学」と「人間学」を扱った二部構成で、イタリア語版は先行出版されていたフランス語訳よりも二章分ほど増補されているよう。

第一部「感性的なものの自然学」は、先日の論文と同様、アヴェロエスほか中世哲学のイメージ論から主客構造を逸脱するイメージのステータスを引きだす議論で、まさにコッチャの真骨頂といったところ。感性的なものやイメージを認識論の枠組みから解放して、「固有の場の外にあるもの」としてイメージを理解しようとするコッチャの議論は、すぐさまそこにベルクソンの「イメージ」やメルロ=ポンティの「肉」といったものとの近しさを見いだしたくなってしまうものの、対する第二部「感性的なものの人間学」は、より現代における人間と動物の問題系を経由しながら、終盤で衣服論/モード論に繋がったりもして、なんとも意外な展開。「固有の場の外にある」とはなにかがなにかと関係している状態のことだ(とかなり乱暴に要約してしまえる)とすれば、たしかにイメージは「世界」「他者」「事物」との関係、また「生」そのものとの関係としての生の形式、エートスにほかならず、身体のイメージ化としての衣服もその一つだと言えるかもしれない。

イメージ=生の形式としての装い、ということになると、コッチャが参照しているアドルフ・ポルトマンの動物学は、美術史家ベルトラン・プレヴォーも論考を捧げていたりして、美学的な観点からの人間と動物という問題を考えがてらちょっと読んでみるのも面白そうに思う。