- Philippe Descola, "Ontologie des images." (2008-2009)
コレージュ・ド・フランスでイメージ論や風景論の講義をしたり、ケ・ブランリー美術館の『イメージの製造』展を監修してみたり、このところいわゆる「イメージ人類学」の急先鋒に躍り出たかに見えるフィリップ・デスコラ*1。ジョルジュ・ディディ=ユベルマンとかハンス・ベルティングとかゲアハルト・ヴォルフとかヴィクトル・ストイキツァとか、美術史畑から人類学に接近した人々とは対照的に、人類学畑からイメージ論に接近している人となると、まずはデスコラやカルロ・セヴェーリあたりが思い浮かぶ。なかでもデスコラは、ブリュノ・ラトゥールやエドゥアルド・ヴィヴェイロス・ジ・カストロ*2と一緒になって〈自然/文化〉〈人間/非人間〉のラディカルな問いなおし作業に着手していて、むしろ最近そちら方面で脚光を浴びているよう(この枠組みの問いなおしはもちろんクロード・レヴィ=ストロースとミシェル・セールに遡れるもの)。
というわけで、デスコラが2008年から3年度にわたってコレージュ・ド・フランスでおこなった講義「イメージの存在論」の初年度のレジュメ(最終年度のみ未刊)を読みはじめてみると、早々にイコン記号とインデックス記号の理解が独特で面食らう。実はパース自身の記述にまで遡って考えてみればそれほど突飛でもないものの、イメージのインデックス的側面を痕跡云々よりも観者にはたらきかける力に見ているところは、アルフレッド・ジェルの解釈を経由しているからだろうか。聞きかじりのかぎりではラトゥールに比べて中途半端な印象だったジェルだけれど、すでに古典になっているようなので目を通しておくべきなのかもしれない。