The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

ジャン=ピエール・デュピュイ『ありえないことが現実になるとき』

ジャン=ピエール・デュピュイ『ありえないことが現実になるとき』桑田光平、本田貴久訳、筑摩書房、2012年(原著2002年)

 

未然に防ごうとする防止策は、起こりうること、可能なことに対してしかなしえない。しかしながら、起こるはずのなかったこと、不可能だったはずのことが生じることもある。アンリ・ベルクソンが示唆したように、可能性それ自体が生成するものなのだから。それゆえデュピュイがなそうとしているのは、可能か不可能かという水準から必然と偶然という水準へと議論を移すことだと言えるだろうか。そうでないこともありえたという偶然性を問題にすることへと。

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リスクの管理という観点から社会や人生を考えるとき、あいもかわらず賭けの比喩が顔を覗かせる。だがその比喩は、そもそものリスクが生じることになった文脈に無関心だからこそ成立するのだと、デュピュイは示唆する。実際に災厄にあった人間は、賭けに負けたと思うよりもまず「なぜ」と問う。人災も天災も、今日では人間自身が築いた道具連関と制度を媒介にしてこそ害をもたらす。リスクは今日の供儀だ。問題はなおも悪の起源だ。

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デュピュイが提示する「賢明な破局論」は、結局のところは、未来のイメージをいかに描くかという点に介入しようと目指す。模倣のフィードバックループが社会を動かし、未来の予報が現在を動かすのだから、いかに未来のイメージを描くのかはたしかに現実に直結した問題だ。けれども、介入できるのは、介入すべきなのは、ほんとうにその点だけなのか。未来のイメージはつねにすでに描かれていて、あまりにも多く描かれすぎていて、それだからむしろそれらを描く具体的なオペレーションのほうに介入すべきなのではないか。