フランソワ・ヌーデルマン『ピアノを弾く哲学者』
フランソワ・ヌーデルマン『ピアノを弾く哲学者』橘明美訳、太田出版、2014年(原著2008年)
ジャン=ポール・サルトル、フリードリヒ・ニーチェ、ロラン・バルトがどのようにピアノを弾いていたのかをあとづけながら、ヌーデルマンはその非言語的で身体的な活動が言語にもとづく思索活動や社会的・政治的行為と取り結んだ関係を浮かび上がらせる。ピアノを弾く時間は同時代の動向から離れるものであり、けれどもまた歴史と地理の広がりのなかに自己を位置づけるものでもある。音楽の嗜好は非言語的な系譜学でさえあるかもしれない。ニーチェにとって、音楽の〈ドイツ的/イタリア的〉〈ロマン主義的/古典主義的〉は哲学的系譜でもあり、さらには治癒的効果をもたらすものですらあった。
*
夢見ることと音楽を演奏することの近しさは、これらが他の現実ないし活動に対して距離を生むものであることもさることながら、思いがけない変形・移動・置換をもたらすものであることに存しているか。サルトルにとってピアノの演奏が有したアナクロニズム、パロディ、レジスタンスは、ここに由来するものか。音楽が系譜学たりうるのだとしても、それは非言語的であるがゆえにいともたやすく変形し、だが身体的であるがゆえにかくも意志に左右されない。構造主義のパラダイムが音楽であるのは、この操作性のためか。