The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

マッシモ・カッチャーリ『哲学の迷宮』

Massimo Cacciari, Labirinto filosofico, Milano : Adelphi, 2014. 

 

(新)プラトン主義の伝統にあっては、哲学者——知恵を愛する者——は魂に知恵のイメージを描き、そうして魂はそのイメージに恋をするようになる。哲学すること、知恵を愛することにはエロースが必要であり、エロースはイメージによってこそ生じる。しかしながら、真実なるイメージはありえない。このアポリアにおいて、イメージはかえってロゴスの有限性とイデアの無限性との存在論的差異のしるしとなる。このときイメージは言葉の図解ではなく、ミュトスはロゴスの挿絵ではない。ランディーノからフィチーノ、そしてブルーノまで、イタリアの人文主義という哲学を特徴づけるのが、そのようなイメージによって思考することなのだと、カッチャーリはいう。

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存在者の特殊な次元——ピュシス、自然本性——をそれぞれに抽出する諸々の個別科学に対して、哲学は存在者一般——本質——を統合的に探究する。とはいえ、カッチャーリによれば、これは裏返しの迷宮をなすという。中心に到達するのではなく、中心から出発する迷宮であり、しかもブルーノの無限宇宙のごとくあらゆる点が中心である多次元的な迷宮だ。哲学は驚き(驚異)からはじまり、迷宮の出口は無知にある。ここから、哲学——知恵への愛——のエロースは、たえずヴェールをかけなおすピュシス、たえず構築され創造されるもの、へと向かっていくのだとして、カッチャーリは力点をテオリアからポイエーシスに移す。