The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

ルイ・マラン『王の肖像』

ルイ・マラン『王の肖像』渡辺香根夫訳、法政大学出版局、2002年 (原著1981年)

マランによれば、権力は表象としてしか存在しないという。というのも権力が成立するためには実際の物理的な暴力が潜在化され、さらに制度化されねばならず、表象こそがこの暴力から権力への変換操作をなすからだ。このとき、表象の無限性によって権力は絶対化を志向しはじめるものの、実際の暴力はあくまで有限で相対的なものでしかありえないがゆえに、権力は実際に行使されないかぎりでのみ絶対性を示唆できることになる。それゆえ権力の表象はたえず気晴らしを、逸脱をおこなう。暴力をふるわず、狩猟、行進、祝祭、晩餐へとたえず逸れていくかぎりで、権力は表象として成り立つ。

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「これはわたしの身体である」と語ったイエスの言葉が聖体を理論づけたように、「国家とはわたしである」と語ったとされるルイ14世の言葉が王権を理論づける。この言葉によって王権が成立するには、王は王の肖像を体現せねばならない。つまり、ルイ14世のほうが王の肖像を模倣して王になる。このとき王の肖像という現前する秘義的身体は、歴代の王の物語という想像された歴史的身体を表象し、かつそれを国家という象徴的な政治的身体に変換する。王は一つにして三つの身体をもち、肖像という感覚しうる身体こそが歴史と国家の蝶番になる。