The Passing +

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

カントーロヴィチ(ブーロー)

先頃『皇帝フリードリヒ二世』も翻訳されたエルンスト・カントーロヴィチの伝記を、アラン・ブーローが著したもの。当時の小説の筋などとの類比も交えてカントーロヴィチの歩みを大胆に再構成しているけれど、なかでもとくに大胆で(理論的な関心からすれば)示唆的なのは、カントロヴィッチの語る「神学」(神話、虚構、テーマ)をミシェル・フーコーの「言表」に近づけるところだろうか。神学の言葉が、現実のかたわらでもうひとつ別の現実を構成し、人々の思考と行動を導き、そうして現実それ自体を変形してしまう。
これをカントーロヴィチは「政治神学」と呼んでいるが、ブーローによれば、カール・シュミットら世俗化論者の言う「政治神学」とは話が逆になっているという。つまり、世俗化論では、西洋中世のキリスト教神学の諸概念が近代の政治の原型を与えた(虚構が現実に権力を与えた)という話になるものの、対するカントーロヴィチでは、政治が神学にしたがわざるをえなかった(現実の権力を虚構が奪った)という話になる。であれば、ここでカントーロヴィチをフーコーに加えてハンス・ブルーメンベルクにも近づけたくなるが、ともあれ、このところジョルジョ・アガンベンがおしすすめている政治神学の系譜学の射程も、こうした政治神学のヴァリエーションに注意して見定めなければならないように思う。