- Bruno Latour, "Some Experiments in Art and Politics" (2011)
ブリュノ・ラトゥールがトマス・サラセーノの作品(Galaxies forming along filaments, like droplets along the strands of a spider's web)をとりあげている短文があったので、友人たちと読んでみる。「ネットワーク」(ラトゥール)と「球体」(スローターダイク)の概念を対比的に取り上げつつ、その両方が「構成〔composition〕」概念に統合されるというお話。
哲学者が芸術作品を論じると往々にして自分の哲学の「挿絵」にしてしまうが、この短文も――残念ながら――そのきらいがなくはないように思う。サラセーノ作品は、すべてが網目でできていて包括的な階層構造がない点でモダニズム的でなく、とはいえ局所的な階層や入れ子構造があってすべて均質的ではない点でポストモダニズム的でない、という。これがラトゥールの発想に近いというわけだ。
ほかにもオラファー・エリアソン、ヒメナ・カナレス、エリー・デューリングの三人を呼んでベルクソン=アインシュタイン論争の21世紀ヴァージョンを再演したとか、ダナ・ハラウェイとイザベル・ステンゲルス〔スタンジェール〕に「ポリティカル・アート」について講演してもらったとか、興味深いエピソード紹介にはことかかないが、少々消化不良。どうやらネット上に記録映像が公開されているらしいので「みなさん見てね」ということのよう。
ともあれその一方で、ラトゥールの「非還元主義」的発想がよくあらわれてもいる。ベルクソンとアインシュタインの「対話」で示されたように科学だけが客観的真理を語る(つまり哲学や芸術はたんなる「主観」として還元されてしまう)という発想を拒否して、科学も哲学も芸術も並列的に真理を語り、そのすべてが足し算的にあわさって世界が「構成」されていくという発想。このとき問うべきは、この足し算の政治性ということになりそうではあるが、はたして。