ジルソン、ナルディ、川添信介
- Étienne Gilson, Études de philosophie médiévale. (1921)
- Bruno Nardi, Saggi sull'aristotelismo padovano dal secolo XIV al XVI. (1958)
- 川添信介『水とワイン』(2005)
いわゆる「二重真理説」の問題の広がりを確認しようとあれこれ繙いてみると、ジョルダーノ・ブルーノやバルーフ・デ・スピノザのようにばっさり宗教(神学)と真理を切り離してしまう潔さ(?)があらためて驚くべきものに見えてくる。
ナルディは、ブルーノの立場もアヴェロエスに淵源するものだと示唆しつつも、「二重真理説」とブルーノの立場を混同しないように注意を促している。まさにその通りだろうけれど、とはいえ、もしも「二重真理説」が真理を語る言説の複数性を含意しているとするならば、ルネサンスに浮上する「哲学の複数性」という論点となにかしらの関係を切り結んでいないこともないかもしれない、とも思う。
真理は唯一の言説によっては語られず、哲学の言説はつねに複数的であるというのは、自然言語の不透明性を発見したルネサンスのヒューマニズムに淵源して、ロレンツォ・ヴァッラからジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラをへてジョルダーノ・ブルーノまで、脈々と受け継がれていく。このあたり、一三世紀から一八世紀あたりまで連綿とつづく「二重真理説」的な問題系にあって、ルネサンス期の思想の特異性をかたちづくっているものかもしれない。たんなる思いつきだけれど。