シェリング(松山壽一)、ジャンケレヴィッチ(三河隆之)
ジョルダーノ・ブルーノの〈相反の一致〉は(クザーヌスといくぶん違って)倫理学化されているのが特徴的だけれど、それを忠実に継承したジェイムズ・ジョイスの考えを別にすれば、これはウラジーミル・ジャンケレヴィッチの〈器官=障碍〉に驚くほど近しい。とはいえ、ショーペンハウアー経由でブルーノに言及していなくはないジャンケレヴィッチではあるものの、あまりブルーノを読んだとも思えない。この類似の中継点を探るとなれば、やはりシェリングということになるように思う(プラトンはさておき)。もちろん、悪の問題はシェリングがブルーノに出会う以前から取り組んでいたものなので、直接的継承というよりも、ヴァールブルクと同じく事後的な邂逅ということになりそうなものの、はたして。