The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

シェリング(松山壽一)、ジャンケレヴィッチ(三河隆之)

  • 松山壽一『人間と悪』(2004)
  • 三河隆之「ジャンケレヴィッチの人称論」(2009)

ジョルダーノ・ブルーノの〈相反の一致〉は(クザーヌスといくぶん違って)倫理学化されているのが特徴的だけれど、それを忠実に継承したジェイムズ・ジョイスの考えを別にすれば、これはウラジーミル・ジャンケレヴィッチの〈器官=障碍〉に驚くほど近しい。とはいえ、ショーペンハウアー経由でブルーノに言及していなくはないジャンケレヴィッチではあるものの、あまりブルーノを読んだとも思えない。この類似の中継点を探るとなれば、やはりシェリングということになるように思う(プラトンはさておき)。もちろん、悪の問題はシェリングがブルーノに出会う以前から取り組んでいたものなので、直接的継承というよりも、ヴァールブルクと同じく事後的な邂逅ということになりそうなものの、はたして。

しかしシェリングは十代ですでにヘブライ語アラビア語までできたとのこと。