The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

フィチーノ、ダグロン

  • Marsilio Ficino, « Pallas, Iuno, Venus, vita contemplativa, activa, voluptuosa » (1490)
  • Tristan Dagron, « Le Timée de Marsile Ficin : Providence et nécessité » (2000)

ルネサンスにおける「一者」の理解の仕方が存在と摂理との分離を帰結するというのは、ジョルジョ・アガンベンが『王国と栄光』で描き出そうとしたような存在論とオイコノミアの分離を思わせなくもない。が、そこからフィチーノ(以降のルネサンスプラトン主義)が、摂理(形相原理)と必然(質料原理)とのたえまない「闘争」として一者の無限性があらわれでる、という発想に行き着くとすれば、それは少々突き詰めて考えてみるだけの特異さをもっている気もする。とくに、中世神学における存在論とオイコノミアの分離は、神の意志の位置づけをめぐって、ルネサンスの一者の思想とかなり違っているようにも感じられる。そのうえ、一者と可知性との分離が摂理(つまり可知的なものの秩序)の相対化を招くとすれば、ルネサンスにおける「調和」や「照応」や「百科全書主義」などの位置も、そう思われるほど単純なものでないように思う。