The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 デイヴィス・ベアード『物のかたちをした知識 実験機器の哲学』(松浦俊輔訳、青土社、2005年)

物のかたちをした知識 実験機器の哲学


デイヴィス・ベアード(1954- )が、実験器具などの「物〔thing〕」もまた理論と同じく科学的知識を担っていることを論じた書物。

科学の知識は、たんに頭のなかにある「信念」として(だけ)ではなく、実験器具をはじめとした諸々の装置や機器などの「物」として存在する。器具、装置、機器、模型、これらはたんに科学の理論を表象しているのではないし、理論に一方的に従属しているわけでもない。これらは理論と「ともに」科学的知識を構成している。こうした観点をベアードは、おもにプラグマティックな観点からの「知識」概念の分析にもとづいて、具体的な事例を豊富に参照しつつ述べていく。

ベアードが分析するところによると、「知識」の特性はおもに五つある。「分離(発見のいきさつとは無関係でいられる)」「効力(ある目的に役立つ)」「長期性(将来にわたり頼れる)」「つながり(世界とわたしたちとの関係を打ち立てる)」「客観性(わたしたちよりも世界のほうに優先権がある)」。「つながり」と「客観性」については、少しばかり語の選び方や説明の仕方がまずい気もするものの、この五つの特性をもとにして「理論」と「物」とを並列して扱うための示唆的な視点を打ち出す。「効力」といったプラグマティックな観点を導入すると「目的」概念をもちいなければならなくなるが、それも技術者の「意図」等ではなく、「機能=関数」という概念によって対処し、信念や意図といった内的な意識の問題を回避する。こうしたプラグマティックな観点から物心二元論を突き崩すというのは、「アフォーダンス」の概念(だけでなく、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの哲学など)とも共鳴する重要な視点だろう。全般的にもう少し緻密で周到な議論をして欲しいと思うものの、「事物」や「物質」といったものが知識を担うという事実を豊富な事例をもとに論じていて、なかなか読ませるものとなっているように思う。