The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 ノーウッド・ラッセル・ハンソン『科学的発見のパターン (講談社学術文庫)』(村上陽一郎訳、講談社学術文庫、1986年)

科学的発見のパターン (講談社学術文庫)


ノーウッド・ラッセル・ハンソン(1924-1967)が、科学における「見ること」をめぐって考察をおこなった書物。

ハンソンによれば、「見ること〔seeing〕」とは「として見ること〔seeing as〕」であり、「であることを見ること〔seeing that〕」である、という。純粋な感覚与件によって科学的解釈を基礎づけようとした感覚与件論(現象主義)に対して、感覚与件と解釈との不可分の絡み合い(「観察の理論負荷性」)についての洞察にもとづき、鋭い批判を投げかける。ときに、批判している感覚与件論に譲歩しすぎた(と思われる)表現がなくもないが(感覚与件を純粋に記述するとされていた語もまた「幾何学」などの理論にもとづいており、その意味で「理論負荷的」であることにかわりはない)、豊富な例によって「見ること」の構造を明晰に描きだしていく。「純粋視覚性」というモダニズム芸術の夢が夢でしかないように、純粋な感覚与件という論理実証主義の夢もまた夢でしかないだろう。

ハンソンの語る「見ること」の構造は、かならずしも科学における観察にのみ当てはまるわけではないように思う。ハンソンはもともとカーティス音楽院に学んだ音楽家だったというだけあって、折に触れて科学の観察と音楽等の芸術経験とが類比的に語られる。ここにもまた、ハンソンにおける「見ること」の議論の拡張可能性があらわれている。とはいえ、安易な拡張には慎重にならなければならないだろう。「として〔as〕」構造という観点は、近年の認知科学認知言語学的なメタファー論の隆盛に伴って、いささかインフレ気味のように思う。むしろ、「であること〔that〕」のもつパース的な観点のほうに着目したほうが面白いかもしれない。