The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 水島茂樹『“解放”の果てに―個人の変容と近代の行方』(ナカニシヤ出版、2003年)

“解放”の果てに―個人の変容と近代の行方


とりわけジョン・メイナード・ケインズとマルセル・ゴーシェを主な導きの糸として、現代社会を「経済」と「他者」から解放されつつある社会として論じた書物。

啓蒙が進めば進ほど人は成熟できなくなっていく。このパラドクスは啓蒙に内在的な論理の帰結であり、それは現代の経済にも見られるのだという。資本主義が高度に発展し、もはや経済が切迫した問題ではなくなりつつある現在、パラドクシカルなことに、人は経済活動以外に価値を見いだせなくなってきている。ケインズははやくも1930年にこの事態を見越して、経済とは別の価値にもとづく生の在り方を打ち立てるべきことを提案していた。だが価値をつくりだしていた「他者」の審級(宗教や歴史など)もまた啓蒙の産物たる民主主義によって解体されてしまっており、その価値を性急に再構築しようとすれば、ゴーシェの言うように、全体主義という破滅が待ちかまえている。こうした事態を前にして、いかにしてあらたな価値を生みだしていくべきなのか。

もちろんこうした問題に対する答えがこの書物で提起されているわけではないが(というよりもむしろ、そのような「最終的解決」が破滅にほかならないことこそが、この書物がゴーシェにもとづいて主張しているところなのだが)、近代というものが孕んでいたパラドクスについていろいろと考えさせてくれる。禁欲的な労働と快楽主義的な消費が相補関係にあること、キリスト教と民主主義の論理が連続の関係にあること、民主主義における分裂を統合しようとする(全体主義がそうしようとしたように)と逆に分裂を極限にまで高めてしまうこと。