The Passing

岡本源太(美学)。書物を通過する軌跡。http://passing.nobody.jp/

 Jean-Philippe Antoine, Six rhapsodies froides sur le lieu, l'image et le souvenir, Desclée de Brouwer, Paris, 2002.


ジャン=フィリップ・アントワーヌ(1957- )による『場、イメージ、思い出についての六つの冷たい狂詩曲』から、フロイト精神分析と古代の記憶術との照応関係を論じた第一章「記憶の名をつかむ――記憶術のイメージ」。

古代以来の記憶術は、「記憶しておきたいものをイメージに変換し、それを場に配列する」という手順を踏むわけだが、これは実はフロイトの分析した「隠蔽記憶」「夢の仕事」「機知」と多くの点で重なり合う、という。これらはどれも、ある「場」にさまざまな「形象」を接ぎ木して、ひとつの「光景」をつくりだす(=「タブロー効果」)。その接ぎ木は「類似」の論理にしたがっており(記憶術では「ものごとの類似」と「ことばの類似」がイメージ構築にもちいられる)、そこにはつねに言語が介在するため、構築されたイメージの「視覚性(visualité)」は純粋な「可視性(visibilité)」に還元することはできない(この言葉遣いはジョルジュ・ディディ=ユベルマンを踏まえてのことだろう)。ここで問題となるイメージは、まさしく記憶術で言われる「imago agens」、すなわち動きつつあると同時に見るものを動揺させるイメージである。

もちろん、「隠蔽記憶」と「夢の仕事」は無意識的、「記憶術」と「機知」は意識的であり、「隠蔽記憶」は本物らしさを装うが「夢」は支離滅裂、さらに「機知」は笑いを目指すが「記憶術」は思い出を目指す、といったようにそれぞれに差異はあるわけで、アントワーヌもそうした差異を形象性の比率という点から図式化してみせたりもするのだが、重要な点としてはやはり、これらがすべてイメージのもつ力動的な構造とにもとづいている、という点だろう。そしてこのイメージの構造は、いわゆる「心的イメージ」にのみ妥当するのではなく、「物質的な」イメージにも妥当するという。事実、このあとの章では、ジョット、マルセル・デュシャンヨーゼフ・ボイスゲルハルト・リヒターなどの作品が取り上げられている。

ただ、この章で最後にこうしたイメージの構造を「タブロー/インデックス」構造と名指しているが、ここで「インデックス」の概念をもちだしてくる論理がいまいち分からない。雰囲気としてはわかるが。タブローにおいて隠しつつ指し示すものとしてのインデックス、といったところだろう。けれども、これではいささか安易な気もしなくはない。できればこの部分を別の仕方で読んでみたいように思う。